沖縄が生んだ天才レゲエダンサー IVAN!

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初回投稿日:2015.06.06
 最終更新日:2024.03.27

沖縄が生んだ天才レゲエダンサー IVAN!

IVANの地元 宜野湾市嘉数近くの歓楽街として栄えた旧真栄原社交街にて
 
沖縄が生んだ天才レゲエダンサー IVANのバースデーパーティに潜入!
 
沖縄で暮らしていると、たまにとんでもない天才に遭遇します。天才って、生まれ持った才能をのびのびすくすく努力して育てた結果、多くの人を喜ばせたり驚かせたり感動させるコトができるようになった人、のことだと思うんですね。沖縄には、その「のびのびすくすく」を邪魔しない環境があるのかもしれません。今回は、私が沖縄で出会った天才のうちの一人。レゲエダンサーIVANのバースデーパーティ潜入記です。
 
沖縄は、歌と踊りの国です。他にも特筆すべき個性は多々ありますが、歌と踊りは、間違いなく沖縄をかたちづくるかなりコアな要素だと思います。移住したての頃。沖縄の人どうしの結婚式に出席したとき。久高島で旧正月のやーめぐりに参加したとき。誰もがカチャーシーを踊れることに、いつも驚かされてきました。ちなみに、辺野古基地反対運動でも、シュプレヒコールの後の、最後の締めはカチャーシーです。
 
阿波踊りやよさこいなど、日本中に伝統芸能数あれど、ひとつの踊りの型が、広くあまねく県民に浸透しているケースは、極めて稀なのではないかと思うのです。しかもこのカチャーシー、諸説あるのだろうとは思いますが、飲み屋で聞いたいろいろな話を総合すると、「天と地、男と女、わたしとあなたをかき混ぜる」ことを、右の掌と左の掌を交互にひらりと返す動きで表現しているらしい。
 
この話を聞くたびに、「音楽に合わせて体を動かしながら、二元論的境界線をかき混ぜて融合してしまうなんて、なんてすごい踊りなんだろう」と心が震えます。さらには、その踊りを誰もが踊れる沖縄って・・・。沖縄の魔力の真髄が、カチャーシーのシンプルで美しい動きに凝縮されているような気がするのです。

 
いきなりカチャーシーを語ってしまいましたが、IVANはそんな歌と踊りの国、沖縄の嘉数(宜野湾市)に生まれ育って中学高校時代はサッカー少年。20歳でいきなりジャマイカに渡り、首都キングストンのゲトー(スラム)で現地の家族と生活を共にしながらレゲエダンサーになった人物です。2012年には、ワールドチャンピオンに。初めてIVANの存在を知ったとき、「日本人がレゲエダンスの世界でワールドチャンピオンになるなんて、沖縄の底力以外の何物でもない。さすが沖縄」と思いました。
 
やがて、「オキナワヂカラ」という地元フリーペーパーの企画でインタビューが実現し、表紙の撮影と合わせて2時間ほどの取材時間中、終始感動させられっぱなし。BEGINの島袋優氏、MONGOL800のキヨサクというビッグネームとともに、ジャマイカにあるボブ・マーリーのスタジオで「ヤーマン体操」をレコーディングした話とか。

 
島袋優×チナスミス。遠く海を超えて、琉球とジャマイカの一流ミュージシャンによるセッション! この時の様子はIVANのコラム(http://rockers-channel.com/ivan-20140619-178)で読めます。写真提供 : IVAN
 
そもそもなんでジャマイカだったのかといえば、親戚の仕事を手伝って働いていた大阪のクラブでジャマイカ人と友達になり、誘われて飛んでしまったのだとか。その時、沖縄にいたお父さんに電話で「ちょっとジャマイカ行ってくるわ」と報告したら、お父さんは「ジャマイカ? よーわからんけど、気をつけろ」のひとことで送り出してくれたそうです。その後、ジャマイカのリゾート「モンテゴベイ」のビーチで現地の人とサッカーをしながら英語を覚えた話。食べるものにも事欠く暮らしが営まれるゲトーには、それでも路上にサウンドシステムが組まれ、いつもレゲエが流れていた話。IVANはそれを見て、「これが文化だ、と思った」と言います。路上で行われていたパーティでの、レゲエダンスのレジェンド的存在で、2005年に凶弾に倒れたボーグルとの衝撃の出会いからレゲエダンスの世界へ。
 
無名だった20歳の若者が、そのときそのとき、自分だけに訪れたチャンスに敏感に反応し、自分の心と体をめいっぱい使って感動し、行動し、道を切り拓いてきた生き様が眼に浮かぶような語り口。すべて彼自身が体験してきたことだからこそ、言葉に説得力があり、人生譚はリズミカルな音楽となって、耳から心へ、直接流れ込んでくるようでした。

那覇のクラブ「LOVE BALL」でのIVANバースデイパーティ photo by Jun Kasuya
 
IVAN31歳のバースデイパーティは、同級生がオーナーの那覇のクラブ「LOVE BALL」にて盛大に行われました。ファンも仲間も本人も入り乱れての祝祭。スターとのこの距離感の近さは、間違いなく沖縄の魅力のひとつです。バースデーケーキ代わりのテキーラタワーで、ゲストも本人もテキーラまみれに。そんな中、カメラをまわしていたのは、IVANの中学の先輩で、宜野湾の赤線跡地「旧真栄原社交街」で一見さんお断りのバー「Ryuukyu.com」を開くRyukyu kazさん。
 
Ryukyu kazによるバースデーパーティ映像はこちら
 
Ryuukyu.comでは、毎週水曜日の「三線ウェンズデー」にHIPHOPスタイルのファッションに身を包んだ若者達が集い、三線を早弾きでかきならします。「おばあちゃん子だった」というRyukyu kazさんが、祖母から伝え聞いたうちなーぐちを流暢に語り始めるシーンも。歌と踊りを魂に刻んだうちなーんちゅ若者たちに、誇り高き琉球の血がたぎっているのが、県外出身の私にもありありとわかるような空間なのです。

Ryuukyu.comでのひとコマ。若者が集い、三線をかき鳴らす photo by Jun Kasuya
 
IVANは、「祖母との時間を過ごすために」2013年にジャマイカから沖縄に凱旋。その後は、日本全国、米国やヨーロッパでのツアーや映画への振り付け提供など、世界を股にかけた多忙なスケジュールの合間を縫って県内の中学校や高校に出張授業に出かけ、子どもたちに夢を持つことの大切さを語っています。「俺は金持ちの子どもに言うことはなくて、世界中の、貧しい子ども達にエールを送りたい。沖縄で貧しさを感じている子がいるなら、『こんな豊かな日本で不景気を言い訳にするなんてウソだよ。夢を大きく持つのにお金はかからない』って言いたい。『ゆいまーる』と『なんくるないさ』を言い訳にしないで頑張れ!」会う人を惹き付けずにはおかない人間力。その根っこにあるのは、弱者への共感と優しさなのだろうと思います。そんなIVANの夢は、レゲエの源流、エチオピアの子供たちにヤーマン体操を教えて笑顔にすること」。IVANのことだから、きっと早晩実現させてくれるのだろうと思います。
 
IVANを知っていた人も知らなかった人も、沖縄が生んだ天才ダンサーに要注目! です。彼の生き様や人となり、言葉を知れば知れば知るほど、沖縄をもっと好きになること請け合いなのですから。
 

沖縄CLIP編集部

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