沖縄観光情報:<沖縄の伝説・歴史ぶらり歩き>読谷村にある唄三線の聖地「赤犬子宮」【PR】

<沖縄の伝説・歴史ぶらり歩き> 読谷村にある唄三線の聖地「赤犬子宮」【PR】

post : 2019.03.16 12:00

地元うちなーんちゅから、「ゆんたんざ」と呼ばれる沖縄本島中部、西海岸に位置する読谷村(よみたんそん)。楚辺(そべ)地区にある拝所「赤犬子宮(あかいんこぐう)」は、唄三線の聖地として知られ、旧暦9月20日は祭祀「赤犬子スーギ」が、新暦3月4日「さんしんの日」は奉納芸能が赤犬子宮で奉行されています。




バス停「赤犬子宮前」から拝所までは徒歩約5分。バス停近くにある県道6号線沿いのコンビニエンス・ストア駐車場の西隣に、「入口」と記された石碑が建っています。ここが赤犬子宮への入口です。

石碑には、「歌と三味線の むかしはじま里や 犬子称阿がれ乃 神の美作」と記されています。こちらは唄三線に携わる方たちの間では著名な琉歌のひとつ。「歌と三線は、むかし、美しい歌声の音頭取り赤犬子神がつくりはじめられた素晴らしいものです」という大意です。




ゆるやかな坂道を進むと、大きな狛犬が護る赤犬子宮が見えました。境内へ続く階段を登ると、眼下の町並みの先に、逆光で白く輝く海が見えます。境内は開放的で風通しがよく、とても気持ちの良いところです。




赤犬子宮は、沖縄の唄三線の始祖として讃えられる「赤犬子(あかぬくー)」終焉の地とされており、多くの三線愛好家たちが参拝に訪れています。



 赤犬子宮にて、2019年3月4日「さんしんの日」の一幕。読谷村文化協会主催による「赤犬子宮奉納演奏会」が厳かに奉納されました。

拝所には、赤犬子を解説する石碑が建立されていますので、抜粋・一部編集してご紹介いたします。

<赤犬子(あかぬく)>
「赤犬子」は今から凡そ500年前、尚真王(1477~1526年)時代に活躍した人だと言われています。1623年に編さんされた『おもろそうし』には、赤犬子の偉業を讃える歌が40余首も記載されており、おもろ歌・音楽に卓越した吟遊詩人であったと考えられます。

一方、楚辺区の古老伝承によれば、赤犬子は大屋のカマーと屋嘉のチラー小との子で、長じては三線をたずさえて各地を巡り歩き、唄・三線を広めるとともに、先々の事を予言し、唐から楚辺むらに五穀(稲・麦・粟・豆・黍)を持ち帰った偉大な人物と伝えられています。

この地は晩年を迎えた赤犬子が生まれじま・禰覇むら(現楚辺)にたどり着き、杖としていたデーグ(ダンチク)を岩山に立て、聖なる光に導かれて昇天した聖地と言われています。楚辺区では古くからウガンジュ(拝所)として崇拝され、毎年旧暦の9月20日(昇天した日)には、「五穀のンバン(御飯)」などを供えるとともに、琉球古典音楽や舞踊を奉納し、唄三線の始祖・五穀豊穣の神・むらの守り神として崇めたて祀る「赤犬子スージ」を催しています。

<以上『赤犬子(あかぬく)1996年10月吉日 読谷村楚辺区』より抜粋・一部編集>

※石碑には「赤犬子スージ」と記されていますが、楚辺の方たちは「スーギ」とおっしゃっています。「スーギ」は楚辺区の方言で、うちなーぐちの「スージ(祝儀・祝宴)」のことです。



 三線職人として、民謡歌手として活躍されている読谷村出身の照屋政雄(てるや・まさお)さん。

「わたしが生まれ育ったところは読谷村上地(うえち)です。もともと楚辺で暮らしていた人たちが上に移動してできた集落です。わたしが子どもだった頃の赤犬子宮には、岩と岩のあいだに三線をヒジャイムチ(左持ち)した犬子の像がありました。それが、三線愛好家の方たちのおかげで、いまでは立派な神殿が建てられています」と語るのは、読谷村生まれ育ちの照屋政雄(てるや・まさお)さん。照屋さんは映画『ホテル・ハイビスカス』などの沖縄映画にも出演、現在は沖縄市で三線職人、民謡歌手として活躍されています。

「かつて上地は、三線をつくったり三線を弾いたりと、みんなが三線に携わっていましたね。いまでこそ色々な名前の方が三線屋をされていますが、戦後までは三線屋はみんな『照屋』でした。それはわたしの照屋一門だったんですよ」と照屋さん。



 赤犬子宮にて、照屋政雄さん(右)とお弟子さんの又吉佑衣(またよし・ゆい)さん。初めて赤犬子宮を訪れた又吉さんは、「はじめて聖地に来られて身が引き締まる思いです。むかしから伝わっているものをちゃんと学んで伝えて行こうと思います」と語られました。

「わたしが子どもの頃から聴かされていた照屋一門に伝わる赤犬子の伝承の最後の方で、三線を携えて放浪していた赤犬子が、冨着(ふちゃく)で船の完成祝いをしていたところに遭遇します。しかし、『乞食が来るところではない』と冨着の人たちに無下にあしらわれた犬子は、新艇に『冨着泥船(フチャクドロブニ)』と名付けて立ち去りました。

冨着の人たちが船を沖に出してみると、造ったばかりの船はたちまち沈んでしまいました。冨着の人たちは、『船の名前をつけた者が悪い』と怒り狂って犬子を追いかけます。ついに楚辺まで逃げてきた犬子ですが、冨着の人たちが放った矢が背中に刺さって倒れたところが、ここ赤犬子宮と言われています。

神様だった赤犬子は昇天したという伝説になっていますが、わたしが思うには、傷を負った犬子は、密かに楚辺の人たちに助け出されたのだと思います。そしてその後、楚辺で唄三線を教えたり、三線づくりを教えたりしながら、ひっそりと余生を送ったのだと思います」と照屋さんは語られました。

そして、次に照屋さんが発せられた言葉が、とても印象に残りました。

「三線に携わっている人たちはみんな、赤犬子の生まれ変わりなんですよ」。

さらっとこぼれた照屋さんの言葉は、唄三線そのものと、唄三線に関わるすべての人たちへの愛情とロマンがあるようで、こころをふわっとあたたかくさせてくれました。





赤犬子宮
住所/沖縄県読谷村字楚辺
アクセス(路線バス)/バス停「赤犬子宮前」下車徒歩5分(28系統「読谷線」・62系統「中部線」・228系統「読谷おもろまち線」)
Webサイト/http://www.yomitan-kankou.jp/detail.jsp?id=74912&menuid=11954&funcid=3

沖縄CLIPフォトライター 安積美加 

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Information

沖縄県中頭郡読谷村楚辺1189