石垣島の大浜豊年祭

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歴史文化

初回投稿日:2014.07.24
 最終更新日:2024.03.27

石垣島の大浜豊年祭

石垣島の大浜は、昔々農家の兄弟2人が村の農業発展のために

鉄製の農具を本土へ買い求めに行き、

農具と共に櫃(ひつ)に入った霊神を持ち帰ってきたという伝説があります。

その場所が、崎原御獄(さきばるおん)。

大浜の豊年万作を祈願する豊年祭のメイン会場です。


崎原御獄

 

豊年祭1日目は「オンプール」、

2日目を「ムラプール」といいます。

 

とくに盛大に行われるムラプールは、

まず、東海岸のカヤスキ浜で「カースンヤー願い」の神事から始まりました。

「カースンヤー願い」とは、神司(ツカサ)たちが東の海から神様を呼びよせ、

来夏世(くなつゆ)の豊作(1年の豊作)を祈願するのです。


 

その後、公民館にて旗頭(はたがしら)おこしが行われ、

続いて、御獄(おん:聖地)の前にて、

旗頭・イリク太鼓・弥勒(みるく)行列・オーセ(雨世節奉納)が奉納されました。


 

そして、東の海に向かって、

ユーニガイ「東節(アガリブシ)」を唱えます。

 

1)

東から来うる 御舟(エシターレ)

我が上ぬ すんきゃら(エシターレ)

スウミヤヨ スウミヤヨ ユバナウレ

 

(訳:東の海上から来る御舟(に五穀を乗せて)

   すべての人で召し上がりなさい

   そして世の中が良くなりますように)

 

 

 

夕方から日が暮れるまで、余興が行われます。

余興とは、旗頭・イリク太鼓を筆頭に28項目のパレードで、

総勢約1000名が練り歩くのです。


 

日没後は、いよいよ祭りのクライマックス。

人工的な灯りは消灯(カメラのフラッシュ光も禁止)。

松明の炎と旗頭の提灯の灯りに、幻想的な雰囲気に包まれます。


 

ツナヌミンでは、大浜集落の[上(うい)]と[下(すむ)]に分かれて、

武者に扮した者が神輿(台車)に担がれながら、向かい合って演舞します。

綱の中央で競り合ったのち、来た道と反対側に一気に後退。

 

 

その直後に大綱の雄側と雌側を引き寄せて結合し、大綱引きが開始されます。

大浜の大綱は、全長140メートルもの長さがあり、八重山で最大級の綱になります。

 

綱は、昔ながらに「稲縄のみ」で作られています。

ロープ類は一切使わずに稲縄で作られていることが

五穀豊穣を祈願する「豊年祭ならではの綱」ともいえるでしょう。


 

また全員参加で一緒に綱を引き合うので、一体感が生まれます。

地域の繁栄と安寧を願い、気持ちがひとつにまとまっていくような感覚です。

 

海と農(命を育むもの)、人々の暮らしと神々との関わり。

原点に振り返り、大切なものを思い出させてくれるお祭りです。


 

大浜公民館前の崎原道路

住所 /
沖縄県石垣市字大浜177

桑村 ヒロシ(KUWA)

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