宮古で歌い継がれた唄の記憶。映画「スケッチ・オブ・ミャーク」

Reading Material

歴史文化

初回投稿日:2014.01.15
 最終更新日:2024.04.10

宮古で歌い継がれた唄の記憶。映画「スケッチ・オブ・ミャーク」

© KOICHI ONISHI

沖縄県宮古島。本島から南西に約310キロに位置する島は

東洋一美しいと謳われるエメラルドグリーンの海があります。

島には、年間多くの観光客で賑わいますが、

今日は“観光”とはちょっと違う旅をご紹介したいと思います。

 

宮古島には、何世紀もかけて歌い継がれてきた「アーグ(古謡)」と

「神歌」があります。厳しい島の自然や、神への信仰、

人頭税という哀しい歴史を経て生まれたこの歌は、切なく、

そしてその時代を生き抜くために、

自分たちの心を維持するために歌われていた力強さももち、

お互いを励まし合いながら未来へ繋ぐ架け橋の歌でもありました。

 

 

時代の流れと共に、神人(カミンチュ:御嶽で神事をする人)や神事が減り、

神歌の灯火が消えようとしています。

その僅かな灯火を見つけたミュージシャン久保田麻琴が、

島のアーグと神歌を掘り起こし、過去からつながる人から人へと旅をしながら、

古い音源を新しい響きへと導いていきます。


島の人々

© KOICHI ONISHI

 

カメラは時にその様子を捉え、

久保田麻琴が辿った道のりを

さらに奥へと踏み込んで、島人達の暮らしや信仰を浮かび上がらせていく。

その映画「スケッチ・オブ・ミャーク」が

監督自ら巡回のもと、沖縄県内各地で上映されます。

歌から始まる記憶の旅をよりお楽しみいただくために、

監督に映画についておはなし頂きました。

 

 

 

【大西功一監督 インタビュー】

 

「スケッチ・オブ・ミャーク」がつくられたきっかけを教えてください。

 

大西監督(以下敬称略):この映画にも登場します旧知の音楽プロデューサー、

久保田麻琴さんがおよそ7年前に宮古島に渡り、

島の周辺部の集落に暮す老人達から唄の聞き取り調査と録音を始めました。

民謡としてほとんど知られていない古い唄が残っていたり、

集団による御嶽(うたき)での信仰が今も行われていると同時に、

そこで数世紀に渡って歌い継がれてきた神歌の存在を知るのです。


スケッチ・オブ・ミャーク

© KOICHI ONISHI

 

ただ、それらの唄を記憶し、またその唄の背景である古来からの

島の暮らしを知る世代がおおよそ90歳を超えていること、

集落での神行事もここに奇跡のように残っていましたが、

それもいつ消滅してもおかしくない状態だと久保田さんから聞かされ、

一人の映像製作者としてこれを記録しなければいけない使命のようなものを感じました。

同時にあまり時間があるようにも思えなかった。

それが2009年2月のこと。その2ヶ月後には、久保田さんから島の唄者達を紹介していただき、

取るものもとりあえず小型高性能カメラと周辺機材をひっさげ、島に渡って撮り始めた訳です。


スケッチ・オブ・ミャーク

© KOICHI ONISHI

 

この映画はどのようにして作られていったのですか?

 

大西:宮古島での撮影期間はおよそ1年間。

その間5回、ベースの東京と往復して撮り進めました。

いつも一人でカメラをひっさげ島に渡って取材に行く訳です。

ご老人達の取材が多かったのですが、

皆の家をハシゴしてお邪魔しては一緒にテレビを観て無駄話をいっぱいして、

食事をご馳走になって、その合間合間で撮る。そんな具合でした。


古民家の風景

© KOICHI ONISHI

 

それはまるで亡くした自分の祖父母ともう一度時を過ごしているような感じで、

とても幸福な時間でした。永遠にこの撮影を続けていたい、そう思っていたりしました。

御嶽での神事は年間のスケジュールに沿って都度伺い撮らせていただきました。

多くの神事のシーンは宮古諸島のなかで

もっとも篤く旧来の信仰の形を残していた伊良部島の佐良浜地区です。


佐良浜

© KOICHI ONISHI

 

実はその佐良浜でさえもいつ信仰が途絶えてもおかしくない状態で、

神事の尊さとこの危機的現状をなんとか伝え、後世に繋げないか、との思いから

撮影には積極的に応じてくださいました。

 

 

監督としてこの映画で伝えたいことを教えてください。

 

大西:この映画に立会うことは、唄はどこからやってきたのか、

そして我々は従来どうやって生きてきたのかを顧みる

とても貴重な機会になるものと思っています。


交流

© KOICHI ONISHI

 

発展の末に大変な混迷を抱えている現代にあって、

この映画の中の宮古のお婆やその暮らし、神事、

そして数世紀に渡って歌い継がれた唄に触れることで、

多くの人が自分のなかにある大切な何かを感じとってくだされば、

そんなふうに思っています。

 

 

大西功一(製作、監督、撮影)


男性

© KOICHI ONISHI

 

1965年、大阪生まれ。大阪芸術大学在学中よりテレビ報道カメラマンのアシスタントにつく。

1988年、学友らとともに、消え行く大阪の古い町を背景にギター流しを追った

ドキュメンタリー作品「河内遊侠伝」が卒業制作学科賞。

フォークシンガー高田渡を象徴的役柄に配し、映画「吉祥寺夢影(きちじょうじむえい)」を製作。

1995年、北海道函館を舞台に、前作についで出演に高田渡を配し、

モノクロ映画「とどかずの町で」を発表。他にテレビ番組、ミュージックビデオ、DVD作品等、

多ジャンルの映像作品を手掛ける。「スケッチ・オブ・ミャーク」は16年ぶりの映画となる。

 

映画「スケッチ・オブ・ミャーク」公式サイト

http://sketchesofmyahk.com/

 

monobox(河野哲昌・こずえ)

同じカテゴリーの記事