国内外に沖縄文化の魅力を伝える琉球舞踊家、福島千枝さん〈那覇市〉

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歴史文化

初回投稿日:2021.01.26
 最終更新日:2024.03.27

国内外に沖縄文化の魅力を伝える琉球舞踊家、福島千枝さん〈那覇市〉

福島千枝さん

「少女時代は暗黒の時代でした。人に対してシャットダウンしてたんです。大人がまったく信用できなくて、音楽が唯一の心のよりどころでしたね。実はその頃、ミュージシャンになりたかったんです」。

あまりにも多感な少女時代を過ごした福島千枝さんは、13歳頃からイギリス、アメリカ、日本のロックやオルタナティブやパンクを聴いていた。琉球舞踊の踊り手として、今目の前にいる立ち姿からは想像するのは難しい。琉球舞踊の魅力に惹かれて沖縄に移住した時も、琉球芸能の大先輩から話しかけられても、返事をしないくらい人が信用できなかったという。


CoccoのCD
<お気に入りのCoccoのCD。活動停止を経て復活した時のもの>

「14歳のとき、夢を見たんです。森の中を歩いていたら、すごくきれいな湖があって、その真ん中にお地蔵さんがポツンといたんです。その湖の向こうにすっごい美しい山があって、緑がきらきらしていて、一本一本の樹々が光輝いていて、あまりに美しい夢だったので、夢占いの方に手紙を書いて鑑定してもらったんです。『湖の中にお地蔵さんがいるのはあなたが救いを求めているから。山はあなたの周りにいる人や置かれている環境を表しています。でも、あなたはまだその山に踏み込んではいないようです。好きな音楽でもいい、詩でもいい、どんな形であれ、まずはその山に入ってみてはどうでしょうか』それが鑑定結果でした。その時は人間不信のまっただなかだったので、『何言ってんだ、あんな美しい山が人間なわけないじゃないか』って、夢占いはあてにならないなと思いつつ、でも、あまりにも強い印象の夢だったので、記憶に残っていたんです」。

その夢は2年後に現実になった。大好きだったCoccoの沖縄限定 CDセット『風化風葬』を買うために初めて沖縄を訪れた。そして、宿泊した備瀬のペンションで、運命的な体験することになる。


紺地の琉球絣
<お気に入りの紺地の琉球絣。繰り返し藍で染めて黒に近い深い紺色になる>

「良かれと思って話かけてくれたオーナーを、適当にアホみたいなことを言ってあしらったんですね。その時16歳だった私は、おじさんとしゃべりたくもなかったですから。そうすることで馬鹿な子だと思って相手にしなくなるだろうと。そしたら、オーナーが真正面から本気で叱ってくれたんです。すごくまっすぐな人でした。叱られたことで自分はどうしてこんなにゆがんでしまったのだろうと、心底恥ずかしくなって、涙があふれて止まらなくなっちゃって・・・」。

その後、縁が重なって、福島さんは琉球舞踊を本格的に学ぶために沖縄に移住し、県立芸術大学に入学する。


銀製のジーファー(かんざし)
<時代を経ても変わらないデザインの銀製のジーファー(かんざし)は福島さんのお気に入りのひとつ。金細工またよし作>

「それまでは女性であることが嫌でした。自分自身を呪ってもいたんです。でも沖縄に来て、琉球舞踊を始めるうちに、自分の中の女性性というものを受け入れられるようなったんです。自分のことも認めてあげられるようになりました。沖縄の人と出会ううちに、だんだん他人を信用してもいいのかなと思うようになったんです。以前の私を知る人からは『ずいぶん変わったね』って言われますね。私が変われたのは、明らかに沖縄に来てから出会った人たちのおかげです。それまでの自分は大人に絶望していたし、『大人は信頼できない、許せない人たちだ』と、人が発する言葉の一つひとつに反応していました」。

壊れやすい細身のガラス細工のように、ピリピリと神経を張りつめる状態の中で生きてきたのは、居場所を持たない自分を守るためだったのだろう。


芸能公演
<令和二年度 沖縄県伝統芸能公演 移動かりゆし芸能公演/写真提供:一般社団法人 沖縄俳優協会 >

「ペンションでの出会いを起点にして、信用できる大人と出会って、いろんな付き合いも始まって、沖縄に来て、沖縄の美しい自然に触れたり、いろんな方々と出会ったりするうちに、沖縄が好きで好きでたまらなくなって、恋するみたいな感じで大好きになっちゃって、それで、今の自分があるんです」。

県立芸大に進学したときに、自分の舞踊の技術の未熟さに直面させられたと振り返る福島さんは、少しでも周囲に追いつこうと必死だった。だから、人一倍稽古に励んだという。

「大学の同期の子たちは、子どもの頃からずっと踊ってきたわけですから、自分の踊りとは比べものにならないんですね。当然じゃないですか。だから、いつも自分に対してとても悔しかったんです」。

そして現在、福島さんは琉球舞踊の踊り手として、さまざまな分野で活躍している。例えば、普段は機会が限られている離島などで、芸能に触れる機会を増やそうと企画された「令和二年度沖縄県伝統芸能公演 移動かりゆし芸能公演」にも関わった。県外で沖縄の文化を紹介するイベントにも度々参加している。

※一般社団法人 沖縄俳優協会による「令和二年度沖縄県伝統芸能公演 移動かりゆし芸能公演」は、新型コロナの感染拡大予防のため、舞台公演による披露から映像収録に切り替えられました。公演はYouTube(https://youtu.be/5ZuBiUh0PMo)でご覧いただけます。


貫花
<大石林山のがじゅまるの前で演じた『貫花』。踊り手が手にする貫花は一般的には造花だが、特別に生花で制作した貫花が用いられた/写真提供:福島千枝 撮影:川畑公平>

また、令和2年には、文化庁の「文化芸術活動の継続支援事業」の採択を受け、琉球舞踊の映像作品を制作した。演じたのは『貫花』。庶民の暮らしをモチーフにした雑踊り(ぞうおどり)の代表的な演目で、赤や白の花糸で貫いた鮮やかな装飾の貫花や、琉球舞踊でよく用いられる四つ竹を手に演じられる。このポピュラーな演目を本島北部の神秘的な大石林山を舞台に収録された映像は、今までにない形で琉球舞踊の魅力を表現している。


器
<自然の息遣いが聞こえてきそうな沖縄生まれの器たち。器を集めるのは福島さんの趣味のひとつ>

活躍の舞台は県内にとどまらない。アニメソングの世界では名の知れたアメリカ出身のバイリンガルコーラスグループbless4とコラボ。東京のクラブチッタでの公演では、福島さんが楽曲に振付をし、演舞を行った。令和2年には、沖縄と海外の橋渡しを文化芸術面から精力的に行っている宜野座村のがらまんホールが制作した映像作品にも加わった。この作品は、ラスベガス「アキマツリ」のバーチャルイベントで配信された。

「世界レベルで言えば、琉球舞踊はまだまだ認知されていないですし、知らない人もたくさんいますよね。琉球舞踊のために自分に何ができるかを考えたときに、沖縄のことをまったく知らない人のところに入っていって、そこに向けて情報を発信したり、インスタで琉球舞踊の写真を投稿したり、琉球舞踊が世界に広まっていくことが、自分には大事なことに思えるんです」。


諸屯を踊る福島さん
<諸屯を踊る福島さん。沖縄県立芸術大学の4年次に開催された学内演奏会にて>

踊りが決して上手とは言えない自分が、いろいろな分野に”営業”を行っていることが、時々恥ずかしく思えることもあると語る福島さんには、葛藤に悩んでいた時期もあったそうだ。だから、「自分を売り込んでいるのではなくて、琉球舞踊の魅力を広めていると思ったらいいよ」と、あるとき知人に言わたこの言葉に、心から救われたという。沖縄に惹かれ、琉球舞踊の魅力の虜になった福島さんにとって、伝統芸能の世界はきっと山あり谷ありの連続だったのだろう。その福島さんに、あらためてその魅力を尋ねてみた。

器
<沖縄の器と内地の器が仲よく並ぶ。どれも福島さんが沖縄の器屋さんで購入したもの>

「大学の集中講義で、日本舞踊の先生に言われたんです。『琉球舞踊ってお能ほど堅くないし、日舞ほどは柔らかくない。ちょうどいい位置にあるわね』って。それがすごく嬉しくて・・・。日本舞踊はしなり感がありますよね。お座敷で近い距離にいるお客さんにアピールするために。お能はザ・古典という存在で。琉舞は、目線が宙を見てるというか・・・。岡本太郎も指摘していますが、どこを見ているかわからない。どこかを見ているようでどこも見ていない目線が独特です。あとは、手の動きもそうです。指の形を変えながら手首を動かすコネリと呼ばれる手振りや、しなやかで柔らかい身体の動きであるナヨリは、琉舞のルーツが神様に捧げるためのものであったからだと伝えられています」。


紅型
<実家近くの呉服屋さんで勧められたという色鮮やかな紅型。宮城里子さん作>

沖縄の日差しは色彩をより鮮やかにすると感じる人は少なくないが、沖縄の光は福島さんが感じている魅力のひとつだ。

「沖縄の着物もそうですね。沖縄の太陽のもとで映える色が使われていますよね。紅型を内地に持って帰ると母親が言うんですよ。『あまりにも色が鮮やかで強すぎる』って。沖縄の太陽の光の強さに合う色だから、きっと沖縄では美しいんですよね」。


房指輪
<舞台で愛用している伝統工芸の房指輪。幸せであり続けてほしいという親から娘への想いが込められている。金細工またよし作>

そのほかにも、絣の美しい文様や、伝統的な髪型のシルエット、首里王朝時代から続く金細工またよしさんの房指輪、グスクの石垣が描く緩やかなカーブに、琉球人の美意識が表れていることなどに話が及んだ。例を挙げ始めるときりがないが、それほど沖縄は魅力に溢れるということだろう。


ロードワークスの琉球張子
<大好きで一年中飾っているというロードワークスの琉球張子>

年間300万人以上の観光客が海外から訪れるようになった沖縄。国外はいうまでもなく、国内についても、のびしろはまだまだあると多くの人が思っているなかで、今後ますます大事になってくるのが、文化の魅力発信だろう。その時に、福島さんのような外から移り住んできた人たちが、伝統の世界でどんな役割を果たすことになるか、これからも楽しみだ。

福島千枝 http://www.chiefuku.com/

沖縄CLIP編集部

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