沖縄観光情報:琉球王国時代から続く紅型三宗家のひとつ「知念紅型研究所」(那覇市)を訪ねて<前編>

琉球王国時代から続く紅型三宗家のひとつ「知念紅型研究所」(那覇市)を訪ねて <前編>

post : 2021.02.05 12:00

那覇空港のお隣、ゆいレール「赤嶺(あかみね)」駅から目的の工房へ向かって歩いていると、住宅街のなかで、風にふわっとなびく美しい布が目に入りました。目的の琉球びんがた工房、「知念(ちねん)紅型(びんがた)研究所」でした。

 
1996年5月10日、工芸技術「染色」が国の重要無形文化財に指定された「紅型」は、15世紀頃から続く沖縄を代表する染物です。諸説あるようですが、「びん」は「色彩」、「かた」は「模様」を表すといわれています。
 
正式表記「琉球びんがた」において、「紅型」という表記は、「型絵染」の重要無形文化財保持者(人間国宝)であり紅型研究第一人者であった鎌倉芳太郎(かまくら・よしたろう 1898~1983年)氏によって用いられたとされ、昭和初期頃から普及していったようです。
 
特有の意匠を有する紅型。その特徴は、顔料の一色一色を手で刷り込む顔料刷込技法の手染め、隈取り(くまどり)という独特の技法、手作りの独自の道具、この3点が紅型を表すおもな特徴でしょう。


<写真提供> 知念紅型研究所
 
紅型は、中国の花布、インドやジャワの更紗、日本の友禅と、諸国の技法を取り入れつつ、18世紀頃には王族の染色技法として確立。豪華絢爛な型紙は琉球王府に収められていたそうです。
 
当時、首里に居を構え、王府の絵図奉行絵師の下で紅型を制作していたのが、「沢岻(たくし)家」、「城間(しろま)家」、そしてこちらの「知念家」です。沢岻、城間、知念の三家は、王府御用を勤める「紅型三宗家(びんがたさんそうけ)」と称されていました。
 
王族、按司(あじ)、親方(うぇーかた)、親雲上(ぺーちん)、に次ぐ階級の筑登之(ちくどぅん)の位を与えられ、士族以上の階級が着用する紅型を制作していた知念家。
 
下儀保(シムジーブ)村の初代・知念筑登之親雲上「寿庵(じゅあん)」から、長男筋「下儀保村知念家」と、次男筋「上儀保(ウィージーブ)村知念家」の両家が伝統技術を継承。
 
現在は、下儀保村「知念紅型研究所」と上儀保村「知念びんがた工房」がともに「知念紅型」として、伝統を守りつつ制作に励まれています。
 
こちらの知念紅型研究所は、下儀保村知念家八代目・知念貞男(さだお)氏によって1972年に創設されました。


<写真提供> 知念紅型研究所
 
「かつて紅型は、王族やごく限られた人だけが纏うことができ、冊封使の歓待、公式行事や儀式など、特別なときにだけ袖を通されていたようです」。
 
教えてくださったのは、知念紅型研究所社長の知念冬馬(ちねん・とうま)さん。下儀保知念家の十代目当主です。
 

知念紅型研究所社長、下儀保知念家十代目当主・知念冬馬さん
 
15~16歳から家業の紅型制作を手伝われていた冬馬さんは、10代後半から京都や大阪、イタリア・ミラノでグラフィック・デザインの経験を積まれました。外の世界を知るにつれ、「沖縄という小さな国に、ものすごい技術があるんだ」と再認識。「これだけ美しいものができるのは楽しさしかない」と22歳で帰沖。2017年、下儀保知念家十代目として正式に工房を引き継がれました。
 
「お客様にとって一点物を。この着物と出会ったお客様に幸せが訪れますように」との想いを込めて日々作品づくりに励みつつ、若手職人の育成、紅型の普及発展にご尽力されています。


 
着物一反の長さは約13m。いくつもの反物や帯の作業が同時に行えるほど、工房は広々としています。冬馬さんを含め現在10人の職人さんが制作に励み、ひと月におよそ30本の帯と着尺5反を制作。60代の熟練職人さんから、20~30代の若手職人さんたちまで。慣れた手付きで作業に打ち込まれています。

 
「紅型は若い方でもやりたがる人が多いのです。毎年やりたいという人が訪れますので、いましばらくは後継者不足の心配はありませんね」と冬馬さん。県内外問わず、紅型職人を目指して門戸を叩く方たちが毎年現れるとは、沖縄の紅型界は明るいようです。


 
1つの紅型作品を仕上げるまでに約10工程、両面染めになると18以上の工程があるそうですが、紅型の制作はひとつの工房ですべて完結されています。
 
こちらでは、隈取り担当、糊伏(のりぶせ)担当と、ひとつの工程に集中して取り組まれた方がクオリティが上がるため、ひとりにつき3~4工程ずつ持ちまわっているそう。人によって筆圧が違いますので、“この色は何々さん担当”と、色の担当も決まっているそうです。

 
「琉球びんがた」には、「朧型(おぼろがた)」、「てぃーちき」、「筒描き(つつがき)」、「両面染」など、多彩な表現方法が存在しています。
 
技法は、型紙を使用する「型染め」と、型紙を使わずフリーハンドで制作される「筒描き※」に分けられます。
 
「型染め」に用いる型紙は大きく2種類。柄以外の部分を「地(じ)」と言い、地を彫り落として柄を残す「白地型」と、地を残して柄の輪郭線を彫っていく「染地型」があります。
 
紅型の型紙。地を彫り落として柄を残す「白地型」(左)と、地を残して柄の輪郭線を彫っていく「染地型」。
 
 
※筒描き … 正確には、次のような技法になります。「型紙を使用せずに防染糊を入れた円錐状の糊袋の先から糊を絞り出しながら生地に模様を描き、そのあとで模様の部分に色を差す方法。」(出典:『琉球びんがた事業協同組合』「琉球びんがた」の種類

 
今回は、もっとも多く制作されている「白地型」の型紙を使った型染め紅型制作のおもな工程をご紹介いたします。
 
 
【工程1.型彫り(かたほり)/うちなーぐち「カタフイ」】
紅型の制作で最初に必要となるのが型紙です。はり重ねた和紙に柿渋(かきしぶ)を塗って乾かした渋紙(しぶがみ)が用いられます。最近では、耐久性のある合成紙(ST紙)が用いられることも多々あるようです。
 
「型紙がなければ紅型制作は始まりません。型彫りは紅型に欠かせない道具のひとつですので、道具づくりである0番目の工程とも言えます。型紙はもっとも残すべき道具のひとつです」と冬馬さん。

 
「型彫り」は、シーグ(小刀)で型紙を彫る工程です。型紙の上に図案を置き、図案の上から「突彫(つきぼり)」によって型紙を彫り抜きます。突彫とは、シーグの刃先を向こう側へ上下に突き動かしながら型紙を彫る技法です。突彫によって、彫り口にゆらぎが生じ、温かみのある線を彫ることができます。

 
300年以上の歴史を有するであろう紅型に用いられる数々の道具。そのほとんどはいまでも手作りです。
 
型彫りの際に下敷きとして使われる「ルクジュー」もそのひとつ。ルクジューは島豆腐を2~3ヶ月かけて乾燥させて作るという、琉球国時代からいまに続く紅型独自の道具です。ルクジューは微量の油分が滲み出るのでシーグの刃を傷めず、錆止め効果もあるそうです。
 

島豆腐を乾燥させて作る紅型独自の道具「ルクジュー」。
 
「ルクジューの語源は、60歳のお祝いに長寿を願い、干して乾燥させた島豆腐を短冊切りにして、焼いたり揚げたりして食べていたことからルクジューと呼ばれたそうです」と冬馬さん。
 
終戦直後まで食されていたと言われるルクジュー、そして、いまも紅型の一道具として重宝されるクジュー。島豆腐ひとつから沖縄の暮らしと工芸、沖縄の歴史文化を垣間見ることができるのでした。
 
【工程2.型置き(かたおき)/うちなーぐち「カタチキ」】
「型附け(かたつけ)」、「糊置き(のりおき)」とも言われる工程です。

 
「型置き」は、生地の上にできあがった型紙を置き、型紙の上から防染糊を素早くのせていきます。そうすると、型彫りされている部分(「白地型」の場合は“地”の部分)に防染糊が入ります。
 
餅米と糠からつくられる防染糊は染めたくない部分にのせ、後に洗い落とすことができます。生地の糊焼け(変色)を防ぐために群青色の顔料も混ぜられているため、防染糊は薄群青色です。

 
「型置きは、塗っているあいだに糊が乾かないよう、素早くきれいに塗るスピードが大切なんです。最初は一日1本しかできなかっのですが、いまでは一日12~15本できるようになりました。型置きはタイムアタックができる工程ですね」と冬馬さん。

 
一日1本から12本へ。飛躍的な数字は、十代目当主のこれまでの努力と、現在の技術力を物語っていました。
 
<後編>へ続く
 
 
 
 
知念紅型研究所
住所/沖縄県那覇市宇栄原1-27-17
営業時間/9:00~17:00
電話/098-857-3099(平日9時~17時)
定休日/土日祝日
HP/https://www.chinenbingata.com/
 
 
 
沖縄CLIPフォトライター 安積美加
 
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Information

沖縄県那覇市宇栄原1-27-17