沖縄観光情報:アプリを使って沖縄の日本遺産をめぐる旅『おきなわ日本遺産』【PR】

アプリを使って沖縄の日本遺産をめぐる旅『おきなわ日本遺産』【PR】

post : 2021.03.24 12:00




みなさんは日本遺産をご存知ですか? 「世界遺産なら知ってるけど、日本遺産は聞いたことないなー」。そういう方も少なくないはず。何を隠そうこの私も、初めて知ったのは数ヶ月前のことでした。

日本遺産は、文化庁が2015年にスタートさせた取り組みで、日本国内各地域の歴史的魅力や文化的な特色をストーリーとして認定するというものです。ストーリーと、それに関連する魅力ある有形・無形の文化財が、国内外に日本遺産として発信されますので、今まで知らなかった日本各地の魅力を知ることができるというわけです。




さて、沖縄では那覇市(なはし)と浦添市(うらそえし)が共同で申請していた『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』というストーリーが、沖縄初の日本遺産として2019年に認定されました。礼節を重んじてきた「守礼の邦」琉球王国は、中国から派遣された冊封使節団などをもてなすために、琉球料理や泡盛、琉球舞踊などの芸能に国をあげて力を注いできました。そして、数百年以上経った今もなお、沖縄の料理や芸能は観光に訪れる皆さんをおもてなしする生きた伝統文化として存在し続けています。

前置きが長くなってしまいました。今回は、日本遺産ストーリーをバスとモノレールを使って訪ね歩くという、新しい旅のあり方をみなさんに紹介します。




今回利用したのは、「日本遺産ストーリー楽しむを公共交通アプリ『おきなわ日本遺産』」です。
こちらのサイトからダウンロードが可能です。
https://www.okinawatraveler.net/nihonisan/

アプリには「のんびりゆったり日本遺産満喫コース」、「古琉球・いにしえの『世の主』たちの足跡をたどる」、「近世琉球・文化を極めた王朝の栄華体感コース」、「大交易時代の足跡を巡る」という4つのモデルルートが用意されています。どのコースもわかりやすいガイド説明がついているので、初めての人でもアプリに従って、順番にポイントを回ることができそうです。

アプリをスクロールしてみて真っ先に惹きつけられたのが、「近世琉球・文化を極めた王朝の栄華体感コース」。私自身、琉球芸能や琉球王朝時代から続く沖縄の食文化が大好きなので、組踊や琉球舞踊、泡盛や空挺料理には目がないんです。早速、那覇市歴史博物館と瑞泉酒造、そして組踊を創設した玉城朝薫の墓を訪れてみました。




那覇市の中心部にある複合施設、パレット久茂地。その4階にある「那覇市歴史博物館」は、沖縄で国宝を所蔵している唯一の博物館です。国宝の多くは代々王様をつとめてきた尚家から寄贈されもので、王冠や王服、刀剣、紅型など、王朝時代の荘厳で秀麗な文化の結晶を堪能できます。また、企画展示も評判で、例年ですと、1月~2月には「うとぅいむち(おもてなし)」に関する展示が、そして3月~4月には三線や古典芸能人関する展示を楽しめます。もともとは、那覇市が所有する琉球王国時代の古文書の活用からスタートした施設で、家系図にあたる家譜の所蔵数が多いため、祖先とのつながりを大切にする沖縄県民が、自らのルールを知るために閲覧しに来る場所としても知られています。

※国宝は年に1ヶ月~数ヶ月と国の定めで展示できる期間が決まっていて、すべてを一度に鑑賞できるわけではありません。また、企画展も年によって変更になる場合があります。




続いて向かったのは、首里城から徒歩10分の閑静なエリアにある「瑞泉酒造」です。琉球王朝時代に酒造りが許されていた首里三箇の一つ崎山町で、1887年に創業しました。ここでは予約制で見学を受け付けていて、泡盛のルーツや製造工程について、わかりやすく説明してもらえます。

泡盛の特徴は沖縄に自生している黒麹菌にあるそうです。発酵によってクエン酸が豊富に産出され、雑菌の働きを抑えてくれるので、高温多湿な沖縄でもお酒づくりが可能だったという話も、見学の際に教えてもらいました。泡盛は琉球王朝時代も、そして今も、沖縄のおもてなしに欠かせない存在です。味わいも酒蔵によって様々。時間があれば色々な銘柄を楽しみたいですね。ちなみに琉球王国の大交易時代前までは、お米ではなく沖縄で栽培されていた麦や稗、泡などの穀物が原料として使われていたのだとか。それがどんな味わいだったのか興味深いですね。




首里の街を後にして、首里駅からモノレールに乗車。向かったのは経塚駅です。そこで降りて3分ほど歩くと、琉球芸能の世界では知らない人がいない玉城朝薫のお墓があります。当時、王国の士族たちは、政治や武術だけでなく、楽器の演奏や踊りなど芸術文化のたしなみも求められていました。子どもの頃から音楽や踊りが得意だったという朝薫は、やがて中国からの冊封使や薩摩からの使者を接待する仕事を取りまとめる踊奉行に任命されました。王府に勤めるようになってから、能や狂言、人形芝居に触れてきた朝薫は「二童敵討(にどうてきうち)」や『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』などの台本を書き上げるなど、組踊を創出した人物として、その才能と功績は時代が変わった今も伝えられています。




那覇市歴史博物館、瑞泉酒造、玉城朝薫の墓を回るうちに琉球王朝以前の沖縄は果たしてどんな島だったのか、知りたい気持ちが高まるばかり。再びアプリ『おきなわ日本遺産』を開きました。そして、「古琉球・いにしえの『世の主』たちの足跡をたどる」をクリック。ふむふむ実に興味深いコースでした。迷うことなく次の日は、朝から二つ目のモデルコースを辿ってみることにしました。




この日まず向かったのは、首里城の京の内です。ここは力がある場所とされる首里城のなかでも特にエネルギーがあふれていると言われているエリアです。琉球王朝が始まる前から沖縄で大切にされてきたという祈りの場所である御嶽(うたき)が、4つ点在しています。世界遺産の斎場御嶽と同様、以前はノロと呼ばれる女性の祭司など特別な人にしか立ち入りが認められていなかった場所というこで、静謐で厳かな空気に包まれていました。京の内には、ガジュマルやアカギ、クロツグなど沖縄を代表する樹木が生い茂っていて、夏でも涼しい風が吹き抜けます。




次に向かったのは浦添市の経塚です。写真は石畳が風情を醸し出している中頭方西海道にかけれられている石造りの安波茶橋(あはちゃばし)。この橋がかけてある中頭方西海道は、首里王府と本島内の主要な地域をむすぶ宿道(しゅくみち)のひとつで、16世紀の終わりに尚寧王(しょうねいおう)によって整備されたそうです。この道からは国王が普天満宮へ参詣する際に使った普天満参詣道(ふてんまさんけいみち)が枝分かれしています。ちなみにここは経塚の由来は、妖怪退治のためにお経が埋められたという逸話にあります。




バスに揺られて続いて向かったのは国指定史跡「浦添城跡」です。浦添グスクと浦添ようどれを散策する前に立ち寄ってみたのが、「浦添グスク・ようどれ館」です。古い写真や出土品が展示されていて、浦添グスクと浦添ようどれについて学ぶことができます。実物と同じサイズで、正確に再現されたようどれの西室(英祖王のお墓)は必見です。特に英祖王のお骨が納められている石厨子はユニークで、本体には仏様が彫られ、台座には中国の石彫様式と似た浮彫が施されています。このことからも、当時の琉球王国が中国や日本と濃密な交流を行っていたことがわかります。




13世紀に、英祖王が築いたと伝えられるのが浦添グスクです。その当時の沖縄はまだ統一されておらず、北山、南山などの王国が争っていました。英祖王の一代前の舜天王がまとめた中山は、中国との貿易を通じて力を蓄え、繁栄していたようです。映画『ハクソーリッジ』でご存知の方もいらっしゃると思いますが、残念ながら、浦添グスクは沖縄戦の激戦地となり、戦後は焼け野原になった集落を復興するために、城壁に使われていた石材が持ち出され、ほとんどなくなってしまいました。発掘調査で見つかった切石を生かして、復元されたのが写真の城壁です。




浦添城跡の北側の崖下には英祖王や尚寧王が葬られている浦添ようどれがあります。前庭から「暗しん御門(くらしんうじょう)」という門をくぐり抜けるて一番庭に至るのですが、暗闇を抜けて明るい場所に移動するという行為自体が、太陽神信仰と密接につながっているそうです。また、穴(産道)を通過することで失われた命が再生するという意味も込められているそうで、これらは沖縄を代表する聖地、斎場御嶽にある三庫理(サングーイ)と共通の建築構造になっています。




浦添ようどれから仲間バス停まで下って、琉球バスに乗って約2分。伊祖4丁目のバス停で降り3分歩くと、「浦添大公園」に到着します。ここには英祖王の父、恵祖世主が葬られている墓(伊祖の高御墓)があります。崖の中腹に空いた洞窟を利用して、正面を石積みで塞いだものですが、このタイプのお墓は亀甲墓が普及する前は、沖縄では一般的だったようです。




続いて向かったのは「伊祖グスク(伊祖城跡)」。英祖王が生まれた場所でもあり、首里王府によって編纂された歌謡集『おもろさうし』にも登場する歴史的なスポットです。歌われているのは、英祖王が春夏秋冬季節を問わず酒盛りを楽しんでいた様子なのだそう。その古謡(オモロ)は、伊祖グスクのふもとにある石碑に刻まれています。このグスクは、首里城とは異なって、野面積みという石積みが特徴です。また、琉球の創生神アマミキヨが天井から降り立った後に創造した御嶽ののひとつとされています。




こちらは「古琉球・いにしえの『世の主』たちの足跡をたどる」の最後のスポット「テラブのガマ」です。琉球石灰岩でできた自然の洞窟で、内部は神に祈りを捧げるという点では御嶽と同じですが、サイズ的に小さめの拝所と呼ばれる場所になっています。言い伝えによると、12世紀に琉球に逃れてきた源為朝が、地元の有力者の娘と結婚し、男の子が誕生するのですが、再び日本に戻ってしまったそうです。残された妻と子は、このガマで為朝の帰りを待ちわびたことから、この場所が待ち港と呼ばれはじめ、それが現在の地名、牧港になったそうです。伝説だけに、なんだかロマンチックですね。

アプリを使った沖縄の歴史と文化をさかのぼる旅の紹介は、以上です。いかがでしたか? バスやモノレールに揺られながら歴史的な場所を移動していると、タイムスリップしたような気分になってきます。現代からいにしえへ。のんびり流れる沖縄の島時間の間から、心地よい風が吹いてきて、頬を優しく撫でくれる。そんなゆったりした時を過ごすことができました。みなさんもぜひ、お試しください。


おきなわ日本遺産
運営会社:株式会社JTB沖縄
住所/沖縄県那覇市旭町112-1 金秀ビル5階
Webサイト/https://www.okinawatraveler.net/nihonisan/

 
沖縄CLIPフォトライター 福田展也

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沖縄県那覇市旭町112-1 金秀ビル5階