3人4脚の農家が目指す5点満点のパッションフルーツ(糸満市)

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歴史文化

初回投稿日:2021.08.02
 最終更新日:2024.03.27

3人4脚の農家が目指す5点満点のパッションフルーツ(糸満市)

糖度がのったジューシーなパッションフルーツが、糸満市で栽培されている。生産者は大城清宜(おおしろきよのり)さん、奥間朝真(おくまちょうしん)さん、吉浜清裕(よしはまきよひろ)さん。

個性が違う3人がそれぞれ知恵を出し合って栽培に取り組んでいる。圃場は平和祈念公園から車で1〜2分の高台にある。海から近いせいか風が心地いい。この風に乗って、海水のミネラルが畑に補給されているのだろう。

取材が始まって最初にわかったのは、パッションフルーツが、実は繊細な植物で、受粉させる手間がかかるということだった。というより、受粉を成功させるのがとても難しいようだ。自然受粉をしない植物には通常ミツバチを活用するが、パッションフルーツの場合、うまくいかない。受粉用の蜂として知られるずんぐりしたマルハナバチを使っても成功率はそう高くないという。

パッションフルーツ

3人の話によると、パッションフルーツの花は一日限りだそうだ。この畑では一生のうち二度しか花を咲かせない。一度目は11月から12月にかけて。2度目は3月から4月にかけて。そして、花の命は短くて、わずか12時間ほど。その日の夜に花を閉じる。冬場は午後遅くに花を開くのでさらに短い。はかないが、だからこそロマンティックでもある。

蕾が開いて花が咲いた後、すぐに受粉できるわけではない。おしべが受粉の準備を終えるまで数時間かかる。タイミングを待って3人は、その指でめしべに花粉をつけていく。それぞれの畑は300坪。畳600枚分の広さだ。そこに花が咲く。「ピークの時期には一日に千の花が白く開くことになるんです」と吉浜さん。自然には受粉しないので、花が閉じる前に受粉を終わらせなくてはならない。まるで家路を急ぐシンデレラのように。「しかも、受粉は天候に大きく左右される。曇っていると2割くらい、雨降りだとさらに成功率は下がります」と大城さん。「わかっていても、花粉づけはやりますよ。だって、花が咲いているんだから」と吉浜さんは言葉をつなぐ。

パッションフルーツの実

3人のパッションフルーツは年に2回、収穫時期がある。メインは3〜4月。そして、5〜6月だ。「冬に育つパッションフルーツは木になっている期間が長いんですね。そうすると栄養分を長く吸収できるので甘みが増し、美味しくなるんです」。3人は春に出荷する一期目に力を注いでいると大城さんは言う。開花時期が冬場にあたる一期目は、菊のように電照栽培を行う。「パッションフルーツは日照時間が13時間以上ないとつぼみをつけないからなんです」と吉浜さんが教えてくれた。日の出が遅い冬場は、早朝4時から電気を灯さなくてはならないのだそうだ。

おいしいパッションフルーツを作る上で、3人が大事にしていることが三つある。一つは土づくり。農作物を育てる上で欠かせない大切な仕事だ。苗が健やかに育つように、牛糞にオガクズや籾殻、麦わらなどを加えて発酵させた堆肥をメインに土づくりを行う。「毎年JAに土壌分析を依頼し、不足している栄養素を補い、過剰な栄養素は抑えるように調整するようにしています」と大城さん。果実の糖度を高めるためにアミノ酸系の液肥を追肥として使用する。一般的には実をつける農作物はリンを多く必要とするが、パッションフルーツは窒素を多くほしがるそうだ。

パッションフルーツを干して追熟

「でも、窒素分をたくさんあげればOKではないんですよ。窒素分が多いと虫がつきやすいんです。1本1本、木の状態をみながら、加減していかなきゃいけないんですよ。1本の木に花をいくつ咲かせるかも、木の状態をみて判断しています。元気のある木なら5つ6つ花を咲かせても大丈夫だけど、勢いがない木だと3つ4つにするわけです。健康状態が良くないのに花をたくさん咲かせると立ち枯れしてしまう。よくばらないことが大事なんです」と3人は口を揃える。

ちなみに、木は自分自身を守るために青い実をわざと落とすことがあるそうだ。実を落とすと元気が戻って、2番目の花を咲かせることができるという。落ちた青い身はハウスの中で干して追熟させる。

もう一つの大事にしていることは、農薬をできる限り使わないこと。パッションフルーツにとっての害虫は貝殻虫。収穫時期になると増えてくるという。そこで3人がやるのは、木の剪定をして風通しをよくすること。そして、木酢液を散布することだ。「貝殻虫がつきにくい状態を作るわけです。言い方を変えれば、貝殻虫との共存ですかね」。ここで3人が嬉しそうな顔をした。

ビニールハウス

大事にしていることの3つ目は、毎年苗を植え替えていることだ。二期目の収穫を終えて、梅雨が明けた7月初め頃に、一年間世話になった木を倒して更地にする。そして、8月下旬頃に新しい木を植える。「若木の方が勢いがあるから病気にもなりにくいし、実もたくさんつけてくれるんです。それに夏場に農薬を使って貝殻虫を退治しなくてもすみますから。幸わせなことに、とっても頑丈なハウスを使っているので、台風を気にすることなく新しい木を植えられるんです。そして、冬から春にかけてゆっくり育って、糖度がのったおいしいパッションフルーツができるんです」。3人とも自信たっぷりでにこやかだ。

パッションフルーツはピューレやデザートに使われることが多くなって、内地にもリピーターが増えてるんです。だから、生産者も頑張るわけで、栽培技術も全体的にあがってきています」。パッションフルーツの持ち味は、酸味と甘味の絶妙なバランス。そして、爽やかな香り。特に夏のうだるように暑い日にはおいしく感じられる。1950年代にハワイ経由で沖縄に入ってきたパッションフルーツは、しばらくの間、限られたファンに愛されてきた。それがドラマ『ちゅらさん』や沖縄サミットを機にした沖縄ブームで広がっていった。

パッションフルーツの葉

取材でお邪魔した日は梅雨明けして間もない晴天の日のお昼前。陽射しが猛烈になってきた時間だったのに、笑顔で3人は出迎えてくれた。「暑い日は昼間はのんびりしています。夏場は、早起きして午前中に、そして、夕方から夜にかけて仕事をするんです」。奥間さんの言葉に申し訳なさが薄らいだ。「農業は自由だからね」と、最年長の奥間さんは言葉を続ける。「公務員を退職した後、第二の人生として農家を選んだんです。自然が許してくれる限り、自分の判断で時間を自由に使えることが今までにない喜びです」。

大城さんは祖父、父と代々農業に携わる家庭に育った。パッションフルーツも父の代から栽培していて、それを引き継いだ。吉浜さんはもともとは飲食関係の仕事をしていたが、縁あって8年前から農家に転向した。現在はナスなどの野菜も育てている。パッションフルーツに情熱を注ぐ3人は、世代も経歴も様々だ。その3人に共通しているのは、農産物を通じた沖縄のアンバサダーであるところだろう。
 

沖縄CLIP編集部

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