200年以上受け継がれてきた久米島唯一の獅子が舞う兼城十五夜<前編> 毎年必ず奉納される神事「拝所まわり」

200年以上受け継がれてきた久米島唯一の獅子が舞う兼城十五夜<前編> 毎年必ず奉納される神事「拝所まわり」

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初回投稿日:2021.09.17
 最終更新日:2024.09.02

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200年以上受け継がれてきた久米島唯一の獅子が舞う兼城十五夜<前編> 毎年必ず奉納される神事「拝所まわり」 クリップする

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<当コラムについて>
当コラムは、2019年9月に取材させて頂いた久米島「兼城の十五夜」祭祀を安積美加が2年の想いを募らせて、前編・後編と綴りました。兼城のみなさま、いつもいっぺーにふぇーでーびる。

久米島の海の玄関口・兼城(かねぐすく)

沖縄本島・那覇から西へ約100キロの洋上に浮かぶ久米島(くめじま)。「米の島」として知られた美しい島は「球美(くみ)の島」とも呼ばれてきました。球美の島へは、那覇空港から空の旅で約30分、もしくは海の旅になります。

久米島の兼城港
 久米島の兼城港【撮影】2019年9月13日

那覇港からのんびり船の旅で球美の島を目指すと、約3時間後にフェリーが着くのは、島の南西に位置する兼城(かねぐすく)集落の兼城港です。

兼城は、首里王府の直轄地として久米島が統治される1510年(1506年説あり)以前から、中国と那覇を結ぶ寄港地として重要な役割を担ってきました。

現在の兼城集落は1670年にできた集落ですが、500年以上経ったいまも変わらず、久米島の海の玄関口の役割を果たしています。

200年以上前から毎年必ず奉納されてきた厄払いの神事

兼城集落を初めて訪れたのは2013年。沖縄の島々に伝わる“しまうた”の取材で、兼城に伝わる恋歌「こはでさ節」を取材させて頂いたときでした。その際に、「うちの十五夜では必ず獅子舞をやります。雨が降ろうが槍が降ろうが、必ずです」、「この獅子舞の踊りはすごく厳かで、何十回みても感動するんですよ。たんなるイベントとは違うんですよ」と教えて頂き、兼城には久米島で唯一現存する獅子舞が継承されていると知りました。

久米島兼城のヌンドゥンチ
 久米島兼城のヌンドゥンチ【撮影】2019年9月13日

「兼城十五夜」の獅子舞は、疫病が蔓延した際に“厄払い”として約200年前にはじまったと伝えられています。

はじまって以来、旧暦8月15日の十五夜の夜、集落の無病息災、五穀豊穣、集落の繁栄を祈願して、毎年欠かすことなく、必ず奉納されている兼城の大切な神事となっているのでした。

久米島で唯一の獅子が舞う兼城

“いつか必ず兼城の十五夜の獅子舞を拝見したい”。そう願ってから6年の歳月を経た2019年9月13日。十五夜の当日、フェリーで久米島に入り、日没前に兼城港のすぐそばにある兼城公民館へ向かいました。

兼城公民館は、推定樹齢約250年の久米島町の天然記念物(樹木)「兼城コバデイシ」が目印です。樹高約10mの大きなクファディサ(コバデイシ)がいつものように大きな枝葉を広げて迎えてくれました。

島の夕暮れって、どこか懐かしい感じがします。公民館の広場では、潮風に追われるよう無邪気に走り回る子どもたちの姿がありました。

兼城公民館広場のシンボル、クファディサ
 兼城公民館広場のシンボル、クファディサ【撮影】2019年9月13日

公民館の中へ誘われ、胸の高鳴りを抑えて待っていると、やがてグヮーングヮーンと銅鑼の音、地謡(じかた)が奏でる三線(さんしん)の音が響き渡り、舞台の引き戸がスーッと開きました。

兼城公民館にて。兼城の獅子とハチャブロー
 兼城公民館にて。兼城の獅子とハチャブロー【撮影】2019年9月13日

現れた獅子は、沖縄の獅子らしく身体は毛むくじゃら。丸みを帯びたお顔にクリクリっとした瞳が愛らしく、大きな歯はニカッと笑っているように見えました。

“兼城の獅子はどことなく親しみが持てるなぁ”。なんてことを思っていると、獅子は引き戸から鷹揚に歩みを進め、「ガチン!」、「バチン!」と、これでもかと言うほど威勢よく歯を打ち鳴らしました。

兼城公民館にて【撮影】2019年9月13日
 兼城公民館にて【撮影】2019年9月13日

聞くところによると、兼城の獅子は相手に背中を見せることはせず、地べたを這うように極めて低い姿勢で猛々しく動きまわり、「暴れ獅子」とも呼ばれているそう。

館内にこだまする激しい歯を打ち鳴らす音は、2019年旧暦八月十五日の夜、待ちに待った兼城の獅子が舞い降りた瞬間でした。

暴れ獅子も神妙になる祈りのとき

十五夜の日没後からはじまる「拝所まわり」。東の空には十五夜らしく、まぁるい赤い月が輝き始めていました。

公民館から出てみると、広場にはたくさんの人が集まっています。久米島で唯一現存する獅子舞を楽しみに、島中から兼城へ駆けつけた方たちのようです。

「拝所まわり」は歩いて廻るようで、広場からゾロゾロと人々が歩き始めました。いよいよ「拝所まわり」のスタートです。

兼城公民館を出発
 兼城公民館を出発して「拝所まわり」がスタート【撮影】2019年9月13日

後をついて歩くと、公民館を出発した一行は最初に「ヌンドゥンチ」へ向かいました。「ヌンドゥンチ」とは、集落の祭祀を司るノロ(ヌル)の屋敷のことです。

ヌンドゥンチに到着すると、ユニークな仮面に赤い衣装をまとった「ハチャブロー」と呼ばれるふたりの踊り手と獅子は、ヌンドゥンチの入口でひざまづき、静かに祈りを捧げているようでした。

「拝所まわり」兼城のヌンドゥンチにて
 「拝所まわり」兼城のヌンドゥンチにて【撮影】2019年9月13

周囲が静かに見守るなか、厳かに御拝(うがみ)が進められています。

ときおり暴れ獅子の尻尾がパタッ、パタッとゆっくりとやさしく地面を打っています。さすがの暴れ獅子も御拝の時間は神妙にしているのですが、尻尾を振るその姿はなんとも愛らしく感じるから不思議です。

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御拝を終えたタイミングを見計らって、銅鑼を合図に三線が鳴り出しました。

「拝所まわり」兼城のヌンドゥンチでの奉納舞
 「拝所まわり」兼城のヌンドゥンチでの奉納舞【撮影】2019年9月13日

小気味良いテンポの太鼓と、三線にのせた唄声に合わせて、ハチャブローと獅子が舞い踊りはじめます。踊りはとくに決まった振り付けはなく、即興で踊られるそう。

彼らの自由に舞い踊る姿は、御拝を終えて、神様からさらなる“厄払いの力”を分け与えていただいた“歓びの舞”のように見えました。

航海安全の祈願所でもあった兼城御嶽

ヌンドゥンチの次に向かった先は、夜の闇に溶ける杜(もり)のような兼城御嶽(うたき)でした。御嶽とは島の大切な聖地のことで、兼城御嶽は次のように紹介されています。

「・・・兼城ノロの拝所であると同時に琉球国時代は、兼城泊に寄港する唐船の航海安全の祈願所でもあった。」(【出典】久米島町教育委員会『久米島の文化財』平成15年版)。

御嶽に入ったすぐ右手には立派なコンクリート建てのカミヤー(神屋)があり、ハチャブローと獅子は階段を上ってカミヤーのなかへと吸い込まれていきました。

しばし待っていると、御拝を終えたであろうハチャブローがカミヤーから下りてきて、銅鑼の音を合図にふたたび唄三線と太鼓に合わせ、獅子もいっしょに舞い踊りはじめました。

「拝所まわり」兼城御嶽のカミヤー(神屋)前にて
 「拝所まわり」兼城御嶽のカミヤー(神屋)前にて【撮影】2019年9月13日

カメラのフラッシュが光り、暴れ獅子がバチンバチンと打ち鳴らす音と歓声に包まれ、御嶽はにわかに活気づきました。

「拝所まわり」兼城御嶽のカミヤー(神屋)前にて
 「拝所まわり」兼城御嶽のカミヤー(神屋)前にて【撮影】2019年9月13日

グヮーングヮーングヮーンと響く銅鑼の音を合図に奉納舞を終えると、一行は次の奉納場を目指して御嶽を後にしました。
島の人々、集落の方々がとても大切にされている祈りの場である御嶽は気安く立ち入れるものではありません。

本来の静けさを取り戻した御嶽で、わずかな時間、ひとりで残ってみました。 右手の高方からカミヤーの灯りが漏れ光っているだけで、御嶽の奥は墨汁を落としたような漆黒の杜。

その静謐な深奥に、ごく小さな灯りが揺らめいているようにみえました。そこにはとても神聖な、近寄りがたい空気が漂っていました。

兼城十五夜「拝所まわり」今昔

現在の「拝所まわり」は、公民館を出発すると、ヌンドゥンチ、カミヤーに続き、港やほかの集落との境目など、兼城集落の主要なところをまわってから公民館に戻るようです。

「拝所まわり」
 「拝所まわり」【撮影】2019年9月13日

一行について夜道を歩いていると、今度は島のメイン通りである県道で奉納舞がはじまりました。すると、獅子とハチャブローが舞っているところへ島の路線バスがやってきました。

バスは急いで無理に通ることはせず、奉納舞が終わるまでじっと待っていてくれました。時間にして5分ほどですが、いかにものんびりとした島らしいなぁ、と思える場面でした。

「拝所まわり」
 「拝所まわり」【撮影】2019年9月13日

「いまはこうして拝所と集落の要所をまわるだけですが、むかしは集落の各家をまわっていたんですよ。真っ暗闇のなか、石垣とかハイビスカスの垣根から突然、獅子が飛び出してきて脅かしたりするから、みんなびっくりしてねー」。

「むかしはね、いまみたいに街灯なんかないし、暗くて見えなかったというのもあるのですが、獅子は人前では交代しませんでしたよ。練習のときも暑いのに公民館の窓もカーテンも閉め切って見せないようにしてね。誰が獅子舞をやっているのかもわかりませんでしたね」。

「獅子舞が通ったら台風のあとみたいでしたよ。むかしは一軒一軒まわったのだけど、みんな獅子を恐れて逃げ回って、家の中に土足で入ってきたり、どさくさに紛れて庭の大きなミカンの枝を持っていく人もいたり、まぁ大変な騒ぎでしたよ(笑)」。
と、兼城集落の方々が十五夜の昔話を聴かせてくださいました。当時を懐かしんで、とても楽しそうな笑顔で。

「拝所まわり」
 「拝所まわり」【撮影】2019年9月13日

久米島兼城の2頭の獅子

獅子とハチャブローが「拝所まわり」から兼城公民館へ戻ると、今度は広場で厄払いの舞いをはじめました。獅子の舞いは、見物していた人々を次々と襲いかかるような猛々しい厄払いとなって、広場に歓声が上がりました。

「拝所まわり」を終えて再び兼城公民館にて
 「拝所まわり」を終えて再び兼城公民館にて【撮影】2019年9月13日

最後の厄払いを終えると、公民館の舞台には2頭の獅子が並べられていました。ひとつは神獅子、もうひとつは芸能獅子です。芸能獅子の方が神獅子より高く鎮座しているのはどうしてなんだろう?

と少し妙に思えてしげしげと眺めていると、「芸能獅子はあちこちで舞って汗だくになっているので、乾かすために少し高くしているんですよ。それに、神獅子はふだんは大切にガラス棚に祀られています。その棚に入る高さの台だから低いんですよ」と兼城の方がにっこりと教えてくださいました。

それから、「ヌンドゥンチとカミヤーでは神獅子が舞い、以降に廻る港やバス停、大きな交差点などは芸能獅子で舞っていたのですよ」と付け加えられました。

兼城公民館にて。神獅子(右)と芸能用獅子
 兼城公民館にて。神獅子(右)と芸能用獅子【撮影】2019年9月13日

デイゴ(マメ科の落葉高木)でつくられた神獅子の補修は難しく、歯と歯を思い切り打ち合わせる激しい獅子舞を長らく踊っていると割れてしまう恐れがあります。一方、芸能獅子はファイバー製で修繕が可能だそう。

神獅子は神聖な拝所で舞い、拝所以外は芸能獅子が舞う。ふたつの獅子の役割を上手に遣い分けることで、由緒ある神獅子を見事に継承されているのでした。

兼城公民館にて。神獅子と芸能用獅子
 兼城公民館にて。神獅子と芸能用獅子【撮影】2019年9月13日

仲良く並んだ神獅子と芸能用獅子を見比べてみると、芸能用獅子の歯は真っ白で、神獅子の歯は全体的に少し黄ばんでいます。

くすんだ山吹色の歯は、兼城の神獅子の歴史と風格を静かに物語っているようでした。

兼城の神獅子
 兼城の神獅子。「拝所まわり」兼城御嶽のカミヤー(神屋)前にて【撮影】2019年9月13日

久米島兼城の十五夜<後編>』へ続きます。
 

安積美加

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