令和の木曳式 <前編> 御材木を国頭から那覇へ!「木曳パレード」【PR】
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post : 2022.11.16 20:00
琉球王国時代60年に一度行われていた「木曳式(こびきしき)」
2022年10月29日に幕を開けた一大イベント、「令和首里城復興イベント いざ首里城 令和の木曳式」。
「国頭(くにがみ)フェスティバル」を皮切りに、「木曳パレード」「那覇フェスティバル」「御材木車展示会」「木遣行列」など、関連するさまざまなイベントが11月3日まで、6日間に渡り開催されました。
「木曳式」は琉球王国時代から首里城造営・修復の際に付随して行われてきた祭事です。
首里城に使用される御材木(おざいもく)を首里城へ運び込み奉納することを主眼に、琉球王国時代は首里城正殿の修築とともに60年に一度行われていました。
在りし日の首里城[撮影]2017年2月27日
近年では、昭和33年(1958年)の守礼門復元、平成元年(1989年)の首里城復元の際に「木曳式」が行われました。
令和首里城復興に伴い、今年33年振りの開催となる「令和の木曳式」。そのようすを<前編・後編>でお届けいたします。
<前編>は、初日10月29日に開催された「国頭フェスティバル」と「木曳パレード」のようすをお届け致します。
令和の御材木と「木曳パレード」 ~ 国頭から那覇へ御材木を陸送パレード
琉球王国時代のことです。
首里城に使われる御材木として、沖縄本島最北端・国頭村奥間の山林で切り出された材木が献納されていました。山林で伐採された材木は、国頭村の西にある鏡地(かがんじ)浜まで運び、船で那覇まで運搬して、首里城へ運ばれたそうです。
時代は飛んで、平成元年(1989年)。
平成の「木曳式」では、国頭から那覇を目指して、レプリカの御材木を積んだ車両が陸送パレードを行う「木曳パレード」が盛大に催行されました。
それから33年後の現在、令和4年(2022年)。
今回も平成に倣った「木曳パレード」が10月29日(土)に開催。国頭村で出発式を行った後、途中3ヶ所に立ち寄り、歓迎セレモニーを受けながら那覇を目指します。
「木曳パレード」の車列は、先導車(日産アリア)、御材木車の低床トレーラー、後押え車(日産エクストレイル)、応援事業車両(沖縄ヤマト運輸)、応援事業兼トレーラー管理車両(琉球通運)の5台構成。
御材木を載せる低床トレーラーは全長17メートルの大きな10トントレーラーです。
ほぼ平成と同じ令和の「木曳式」。ですが、平成と大きく異なる点が2つあります。
1点目は、令和でお披露目される御材木はレプリカではなく、本物の貴重な「オキナワウラジロガシ(カシ)」であるということです。
今回、御材木として、国頭村の楚洲・浜・安波の3ヵ所から立派なカシが1本ずつ切り出されました。
「木曳パレード」や「木遣行列」には、3本中もっとも大きなカシ、長さ9メートル、重さ4トン、樹齢98歳、楚洲産のカシがお披露目されます。
平成の復元では沖縄県産の材木は使われませんでした。
今回、国頭村のカシが首里城正殿に使用される計画は、国頭の方はもちろん、沖縄県民にとってもたいへん喜ばしいことです。
2点目は、御材木が首里城復興を願って国内外から寄せられた55億円を超える寄附金によって調達されたことです(令和4年9月末現在【出典】沖縄県公式首里城復興サイト https://www.shurijo-fukkou.jp/donation/)。
沖縄にこころを寄せてくださる多くの人々が世界中にいる。それは、とてもありがたく、後世に語り継ぎたいエピソードのひとつです。
「国頭フェスティバル」10:00 ~ 国頭村奥間の伝統芸能「国頭さばくい」
「令和の木曳式」は2022年10月29日(土)、「国頭フェスティバル」で幕を開けました。
会場は御材木「オキナワウラジロガシ」の産地、国頭村の山間にある「国頭村森林公園」です。
国頭村は沖縄本島内で最高峰である与那覇岳(503メートル)を有し、村面積の約84%が亜熱帯照葉樹林で覆われた沖縄本島でとりわけ山林が豊かな村です。
天気は上々。国頭村の山中にある会場は、午前10時の開始前には予想を上回る多くの人々が来場されていました。
「国頭フェスティバル」では平成同様、国頭村奥間の伝統芸能「国頭(くんじゃん)さばくい」が奥間区民・国頭さばくい保存会のみなさんによって披露されました。
全国各地に伝わる木遣歌(※1)、沖縄の代表格は「国頭さばくい(※2)」といっても過言ではないでしょう。
「さばくい(捌理・捌庫理)」とは琉球王国時代の地方役人のことで、木材を山から切り出す際に先頭に立って指揮監督する役目も担っていました。
「国頭さばくい」は、首里城の御用材となるカシの大木を奥間地区後方の長尾山山頂(与那覇岳西側八合目)から鏡地浜まで運ぶ際に歌った木遣歌。発祥の地は国頭村奥間地区、1600年頃に作られたとされています。
※1:木遣歌(きやりうた) … 木遣りの際(=木を遣り運ぶ際)に唄われていたウタ。大木などを大勢で運ぶ際に息を合わせるために唄われた作業歌・労働歌のこと。単に「木遣」と略されることもある。
※2:「国頭サバクイ」との表記もあり。発祥の地・国頭村奥間では「国頭さばくい」と表記している。
「国頭さばくい」は、国頭のさばくいが首里城北殿落成の祝宴で、木遣歌を面白おかしく唄い踊ったところ、全島から来ていた役人たちのあいだで評判となり各地に広まった、と伝えられています。いまでも人気演目のひとつである「国頭さばくい」は、各所でさまざまな振付けがなされています。
木遣歌「国頭さばくい」をもとに創作された奥間の伝統芸能「国頭さばくい」。
その特徴は、御材木の大道具が用いられることと、女性たちのウシデーク(※3)がいっしょに演舞されることでしょう。
女性たちのおだやかな祈りの演舞にはじまり、役人のさばくいたちが御材木となる立派な大木を見つけ、声を張り上げ力を合わせてみなで曳き運ぶ。観る人が一連の物語を連想できるようになっています。
※3:ウシデーク(臼太鼓) … 古くから伝わる沖縄の祭祀舞踊のひとつ。女性だけで踊られる敬虔な集団円陣舞踊。ウスデーク、ウシンデークなど、地域によってさまざまな呼称がある。
「ウシデークは9曲で構成されており、日常生活・地域の安泰を祈る女性の祈りの歌です。ウシデークとさばくいはもともとは別々でしたが、明治の頃、日露戦争の祝賀会からいっしょに演るようになったと聞いています」と奥間区民・山城美保子さん。
「地元の伝統芸能は、異世代間の交流、コミュニティを築く礎となっています。今日こうして『国頭さばくい』をみなさまにお披露目できることはとても光栄なことです。日頃の練習成果を発表できる場があることは、やりがいが生まれ、みんなの活力になります。緊張もしていますが、このような機会をいただいてとても嬉しいです」と教えてくださった美保子さん、ウシデークの先頭に立って音取をされていました。
ウシデークの先頭に立って音取をされる山城美保子さん。
素足の48人の男女がのびのびと、樹々に囲まれた芝生を存分に使って繰り広げられる奥間の伝統芸能「国頭さばくい」。
威勢よい「国頭さばくい」と女性たちの素朴な祈りを体現する「ウシデーク」。対象的な2つの伝統が見事に融合してさらに厚みと深みを与えているように感じました。
変わりやすい山の天気らしく、青空に突如鈍色の雲が現れ、一時パラパラと雨粒が落ちてきました。それでも意に介さず演舞は続きます。小雨は降ったり止んだりを繰り返しました。
わずかな天水は、ヤンバルの大自然に抱かれて御材木を曳いていたであろう、在りし日の臨場感を思い描く助けとなりました。
「木曳パレード」11:30 出発式 ~ 国頭村「道の駅ゆいゆい国頭」
「木曳パレード」のスタート地点は国道58号線沿いの「道の駅ゆいゆい国頭」です。
「これほど大きなカシを切り出したのは初めてです。私が生きている間にはもうないことだと思いますよ」。
御材木について教えてくださるのは、「国頭村森林組合組合」代表理事組合長・宮城忠信(みやぎ ちゅうしん)さん。
「一番たいへんで難しい作業は切り出しです。傷をつけず、割れないよう、周囲の環境を壊さないよう配慮しなければなりません。こんなに大きなカシを切り出した作業班のひとたちの技術はすごいですよ」。
切り出したカシは倉庫に保管され、週に2度、専門家が来て、水をかけたりニスを塗ったりと厳重に管理されていたそう。
国頭村森林組合組合 代表理事組合長・宮城忠信さん
「国頭村の木が首里城に使われるとはとても誇らしく、こんなに嬉しいことはありません。首里城正殿の梁に使われると聞いていますので、木目や曲がりなどカシの持ち味を活かせてもらえたらと思います。首里城ができたら絶対に見に行きます」と想いを語られました。
ほかにも異口同音、「国頭村のカシが首里城に使われることを誇りに思う」とおっしゃる国頭村の方が何人もいらっしゃいました。
国頭は琉球王国時代から首里城へ御材木を献納されてきた由緒ある山林地帯。国頭で育った樹木が首里城を支える御材木となることは、どれほど嬉しく、誇らしいことなのか、国頭村みなさんの想いがひしひしと伝わりました。
奥間区国頭さばくい保存会のみなさんによって、御見送り歌「だんじゅかりゆし」が披露されました。「だんじゅかりゆし」は前途洋々たる船の旅立ちを祈り祝福する旅歌です。これから那覇を目指す「木曳パレード」の安全を願って唄われました。
出発の銅鑼の音を合図に、御材木車が動き始め、みなが拍手で送り出しました。
御材木車が進むに従い、奥間の女性たちは各々が手にするティーサージ(手ぬぐい)やバチを高らかに振って見送られました。
「木曳パレード」14:00 お立ち寄り歓迎セレモニー(1)読谷村「オキハム本社」
国頭村から那覇を目指して南下する「木曳パレード」最初のお立ち寄り会場は、読谷村の「沖縄ハム総合食品株式会社(オキハム)」本社さんです。
地面には雨が降った形跡がありますが、いまは青い空が広がっています。「一生に一度、見れるか見れないかだから見に来ました」と近くに住む男性。たくさんの人が御材木を待ちわびてソワソワしています。
御材木車を待っていると、ふと女性と目が合いました。「ドキドキしますね!」と話しかけると、「そうですね!」と笑顔で頷かれました。そうこうするうちに御材木車がやって来ました。
「わー! 大きい!!」「すごい! すごい!」と歓声が上がります。
先ほどの女性に「お近くなんですか?」と尋ねると、「いいえ、那覇です。伝統芸能を勉強している甥っ子のために運転手をしているんです。前日から国頭に泊まって、今朝の『国頭フェスティバル』からずっと追いかけていますよ」と楽しげです。熱心なのは報道陣だけではなく、伝統芸能を研究されている方からの注目度も高いようです。
歓迎パフォーマンスは、「創作舞踊集団 結華(ゆいばな)」による「国頭サバクイ」。
活き活きとした笑顔で、若さあふれる躍動的な「国頭サバクイ」が披露されました。
約15分の記念撮影タイムは御材木に自由に触れるチャンスです。ちびっこたちも御材木に興味津々。
日焼けした小さな手がペタペタと御材木を埋めていきます。
子どもたちに御材木に触ってみた感想を尋ねると、「ツルツルしてたー!」と元気いっぱいに答えてくれました。この子たちが大きくなったときに良い思い出になっているといいな。
「木曳パレード」15:30 お立ち寄り歓迎セレモニー(2)北中城村「イオンモール沖縄ライカム」
「木曳パレード」2ヶ所目のお立ち寄りは、北中城にある「イオンモール沖縄ライカム」さん。
到着は15時30分予定のほぼオンタイム。この時間の中部は気持ちのよい青い空が広がっていました。
読谷に続き、「創作舞踊集団 結華」による「国頭サバクイ」が披露されました。さらに、タオルを手にした「イオンチアーズクラブ」が加わり、元気な花を添えてくれました。
こちらでもたくさんの人たちが御材木に触れました。
お父さんに抱っこされた陽大(ようた)くんが御材木の断面にすっぽりと収まっています。生後1ヶ月の赤ちゃんと98歳の御材木の微笑ましい組合せにシャッターを切るカメラマンさんたち。すくすく大きく育ってね。
「木曳パレード」17:00 お立ち寄り歓迎セレモニー(3)浦添市「NTT西日本 沖縄支店」
「木曳パレード」最後のお立ち寄りは、58号線沿いの浦添市城間の「NTT沖縄支店」さん。
御材木車の到着予定は17時、秋の太陽は西に傾き始めています。こちらでもカメラやスマホを手にした多くの方が、御材木車の到着をいまかいまかと待っています。
58号線から少し入ったところにある会場で待っていると、58号線に面した出入口が少し慌しい様子。御材木車が到着したのかな、と思って眺めていると、なんと御材木車はバックで入ってきました。
ドライバーさんの腕前にみなさん感心。さすがです。
まちかんてぃーしていた(待ちかねていた)皆さん、あたたかな拍手で御材木車をお出迎え。御材木を迎える気持ちはひとつです。
こちらの会場では社員有志で構成される創作エイサーチーム「NTT沖縄MABUI太鼓」のみなさんの力強いエイサーが披露されました。
エイサー隊の後方には、「折り紙で作ったリボン/蝶ネクタイの最多展示数」でギネス世界記録™に認定された「首里城ウォールアート」が展示されています。約900人の社員の方たちが約3,000枚のリボン折り紙を使って、縦2メートル、横4.5メートルの作品を作り上げました。通信という人と人を繋ぐ仕事と沖縄の結まーる精神を重ね、首里城再建への願いをリボン折り紙で表現されました。
素敵な首里城ウォールアートとエイサーの組み合わせは、「木曳パレード」の締め括りに相応しく、口元を覆うマスクを超えて気持ちを盛り上げてくださいました。
「木曳パレード」17:50 久茂地交差点通過 ~ 御材木は「木遣行列」でいよいよ首里城へ
御材木車の長さは17メートル、10トン低床トレーラー。日頃からトレーラーを運転されているベテランのドライバーさんが数日間、専任となって御材木車の運転を務めています。御材木車のドライバー・古謝伸治さん(琉球通運)から、「大切な御材木を落としたり傷つけたりしないよう気をつかいますね。振動を避け、ゆっくり走行しています」とコメントをいただきました。
御材木車の専任ドライバー・古謝伸治さん(琉球通運)
一足先に浦添から那覇市へ移動し、那覇市の中心部のひとつ、国道58号線の久茂地交差点で御材木車を待ちました。
17:50頃、路面がしっとり濡れる58号線を御材木車が無事に走り過ぎました。国頭から那覇まで約109キロ、ほぼオンタイムで「木曳パレード」は那覇入り。ほっと胸を撫で下ろしました。
「木曳パレード」お立ち寄り会場では、これからの首里城を支える御材木オキナワウラジロガシをひと目見ようと多くの人たちが集まり、会場はあたたかな空気に包まれました。
御材木に触れた人たちから、たくさんの笑みがこぼれました。
集まった人たちは、98歳のオキナワウラジロガシからカリーを、エネルギーをいただいているようにも思えました。
大きな手、小さな手、それぞれの手のひらから、みんなの想いが御材木に伝わっていくようにも感じました。
「木曳パレード」は、御材木と人々との想いとエネルギーの交換会だったのかもしれません。
国頭村で切り出された御材木はこの後、「那覇フェスティバル」や特設展示会などのイベントでお披露目され、11月3日の「木遣行列」でいよいよ首里城へと運び込まれます。
後編では、令和の一大イベントに携わった沖縄県内外のみなさんの声とともに、「木遣行列」のようすをご紹介いたします。
<後編>へ続く。
沖縄CLIPフォトライター 安積美加
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