お父さんが撮った沖縄を娘が伝える“家族”のような特別な場所、平敷兼七ギャラリー

お父さんが撮った沖縄を娘が伝える“家族”のような特別な場所、平敷兼七ギャラリー

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初回投稿日:2017.10.24
 最終更新日:2024.04.12

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お父さんが撮った沖縄を娘が伝える“家族”のような特別な場所、平敷兼七ギャラリー クリップする

琉球歴文化体験モニターツアー

本部琉映館
[撮影/平敷兼七]

沖縄はかつて王国だった。そして今でも王国であり続けている。たとえば“空手の王国”として、“手しごと王国”として、“伝統芸能王国”として。他にもたくさんの王国があるけれど、ぜひ紹介したいのが写真の王国としての存在だ。

何十年も前から、山田實さん、東松照明さん、森山大道さん、荒木経惟さんといった名だたる写真家たちがこぞって沖縄を訪れ、本土とは異なる空気感や皮膚感覚をフィルムに焼き付けてきた。最近では初沢亜利さんが沖縄に一年以上住みながら、等身大のリアルな沖縄の日常(本土出身者にとっての非日常)を切り撮った。


平敷兼七の写真
[撮影/平敷兼七]

沖縄を被写体に活躍してきたのは、もちろん本土の写真家だけではない。自分たちのシマにこだわってきた沖縄生まれの写真家も数えることができないほどたくさんいる。巨匠の平良孝七さん。ベテランの石川真生さんや仲程長治さん。「若手」だと石川竜一さん、豊里友行さん、タイラジュンさんの名が浮かぶ(すべて個人的な好みです)。また、『モモト』、『Porte』、『おきなわいちば』など、沖縄のメディアで活躍しているフォトグラファーも名前を挙げればきりがない。


平敷兼七
[撮影/森信幸]

そういった沖縄生まれの写真家の中で近頃再評価されている人がいる。南大東島などの沖縄の離島、戦後間もない沖縄を影で支えた売春婦、たくましく生きる市井の人や子どもたちを被写体にして、生活という地平に両足でしっかり踏ん張って写真を撮りづづけた平敷兼七(へしき・けんしち)さんだ。代表作は2007年に出版された『山羊の肺』。2008年に第33回伊奈信男賞を受賞。その翌年、惜しまれながら61歳の若さでこの世を去った。けれども、世間の評価がその背後からやっと追いついてきた平敷さんの作品は、家族によって営まれている手作りのギャラリーで今でも見ることができる。

那覇の中心部から国道58号を北上することおよそ15分。海側には広大な米軍基地、陸側には時代を感じさせるコンクリートの建物が見えてくる。沖縄が本土とは違うことを感じさせてくれる浦添エリア。平敷兼七ギャラリーはそんな場所にある。

モノクローム写真が展示

ドアを開けて中に入ると、国道の喧騒とは裏腹の、静けさに包まれた空間に、アナログカメラで撮影されたモノクローム写真が展示されている。多くは平敷さん本人の手によるオリジナルプリント。フレームも本人の手作りだという。平敷七海(へしき・なみ)さんと西原真基(にしはら・まき)さんは、お父さんの眼差しに見守られながらこの場所で、火曜日以外の毎日、ギャラリーを訪れる人をもてなしている。

「子供の頃はお父さんの写真をまるで理解できなかったです。暗いし、重たいし、怖いし…。『こんな写真は人に見せられない』って本気で思ってました。読谷村(よみたんそん)のチビチリガマ(沖縄戦当時、赤ちゃんからおばあさんまでの大勢の住民が、集団死でなくなった天然の洞窟)のシリーズが廊下に飾ってあって、トイレに行きたくても行けなかったですね。大人になるにしたがってお父さんの写真は違って見えるようになりましたけど…」。

七海さんや真基さんがお父さんの写真の良さを実感できるようになったのは、亡くなった後だという。


平敷兼七の写真
[撮影/平敷兼七]

「若い頃からお父さんと付き合っていた人や、お父さんが割と最近お世話をした若い人たちまで、お父さんを慕っていろいろな人が出入りし始めたので、家の外でお父さんがどういう人間だったのか、話を聞く機会が増えたんです。そうすると、一枚一枚の写真をお父さんがどんな気持ちで撮っていたのかわかるようになりました。『何だろう?』と思っていた写真でも、その写真をよく知っている人、例えばそれは被写体だった人だったりするわけですが、その人と出会って、お父さんがシャッターを切ったその瞬間の話を聞くことで、『ああ、そうなんだ』と身近なものに思えてくるんです」。


ミシン

芸術家の多くがそうであるように、平敷さんの人生もまた波乱に満ちたものだったようだ。

「実はお父さんは、一度写真を撮ることをやめて、国際通りでジーンズショップをやってたんです。沖縄が日本に復帰した後、70年代の後半から10年くらい。その店は、『ジーンズを買うならここ!』っていうくらいの超人気店だったんですが、『やっぱり写真をやりたい』って…。それから家族は貧乏になりました。やちむん(陶器)の窯焚きとか色んなバイトをしながら写真を、もう一度撮り始めたんです。ゆっくり、じっくりと。そうそう、カタツムリが大好きだったんですよ。ジーンズのショップのマークにしていたくらいです」。


平敷兼七の写真
[撮影/平敷兼七]

写真を見れば撮影者の人柄が少しわかる。写す人の気持ちとか性格が、被写体に投影されるからだ。平敷さんの写真は、控えめで淡々としたものが多い。強烈なインパクトや派手さはほとんど感じられない。映画で言えば小津安二郎といったところだろうか。

「お父さんは『一番より二番手がいい』ってよく言ってました。控え目で、ワンカラ(自分が自分がというような自分ファーストで自己主張が強い性格)ではまったくなかったです」。

後輩の写真家の面倒を見たり、主宰していた写真教室では盲目の人にも写真を教えていたと、七海さんは誇らしげに話してくれた。そういう人柄だったからだろう、「お世話になったから」と、何人もの写真家が平敷兼七ギャラリーの運営をサポートしようと、3回目の企画展以降、毎回集まっているそうだ。


平敷兼七ギャラリーの運営をサポーター
[提供/平敷兼七ギャラリー]

例えば、サポーターの代表であるタイラジュンさんが、数年前に『rat & sheep』というヤギをメインにしたレストランを開業したら、平敷さんは毎日のように食事に行っていたという。「rat & sheepではアーティストの個展を時々やってるんですが、『平敷さんは有料のイベントの時しか来なかったんだよー』ってタイラさんが思い出すように教えてくれたんです」。お父さんのことを話す時、七海さんの口元は決まってほころぶ。


平敷兼七さんの遺作集『父ちゃんは写真家』

今年の春に出版された平敷兼七さんの遺作集『父ちゃんは写真家』のタイトルや装丁を考えてくれた写真家の石川真生さんは、今でも、髪の毛を切ってもらいに、ギャラリーの隣にある七海さんの美容室に通ってくれている。

「私たちは写真はまったくの素人で、ただただお父さんが残した写真を何とかして多くの人に見てもらいたいと、それだけの気持ちでギャラリーを去年の2月にオープンしたんです。どの写真をどう飾ればいいか、どういうテーマで展示会を考えればいいか、まるでわからなかったんです」。写真の上手な保管方法、企画書の書き方、フライヤーの作り方、ギャラリーの経営について、何人もの人がアドバイスしたり一緒に手伝ってくれているという。


モノクローム写真が展示

ギャラリーを始めてから、今までお付き合いがなかった人や、七海さんや真基さんのプライベートな人間関係では巡り合うことのないないタイプの人がたくさんやってくるようになったそうだ。「若い人が来て『写真をやってるけど何を撮ればいいかわからない』という悩みを聞いたりすることもあります。そういう人は、お父さんの写真を見て、日記を読んで、自分の道を見つけていくみたい。東京から観光に来て、午後2時に来て午後8時までいた人もいるし、一ヶ月に何度も来てくれる人もいます。居心地がいいのでしょうね。『みんなの秘密基地みたいでいいね』とか、『敷居が低くて入りやすい』って言ってくれる人もいます」。


七海さんと真基さん

取材の最後に七海さんと真基さんにお父さんの思い出を訊いてみた。

「仕事に行き詰まった時、お父さんは良き相談相手でした。髪の毛をカットしてあげながら、旦那の話とか、仕事の話を聞いてもらっていたんです。小さい頃は正直嫌いだったんですけどね。妹とじゃんけんして、負けたほうがお父さんと一緒に離島の撮影に連れて行かれたりもして。そういう時は早く帰りたかった。今思えば、子どもを操るのが下手な人でした」。今は亡きお父さんのことを振り返る七海さんは、大人になって「お父さん、がんばってるね」って言えるようになって幸せだったに違いない。

「厳しかったから孫にも不人気でした。子どもにも対等に接していたからでしょうね。同じ目線で話をしていたし、大人と同じ答を求めていました。10年前に一青窈さんと対談したんですね。その時は心からかっこいいと思いましたよ」。末っ子だからもっぱら平敷さんの専属助手だったという真基さん。言葉とは裏腹に、表情からは父親への愛が明け透けに伝わってくる。


平敷兼七の写真
[撮影/平敷兼七]

亡き父に対する家族の思いと、父を支えてきた母を楽にさせたいという気持ち。それらに父を知る人たちの思いが重ることで、維持されている文字通り手作りのギャラリー。カタカナのギャラリーより、漢字で書いた写真館の方がどこかしっくりくる。

「お父さんは新しくてピカピカしたものが嫌いだんたんです。新品のカバンもわざと古く見えるようにエージングしたり、新車にもペンキを塗ってわざと汚くしてたんです」。子どもは古ぼけているものより、ピカピカしたものが好きだけれど、成長すると古ぼけているもの、「立派」でないもの、影をまとうものの趣を味わえるようになる。人生の喜怒哀楽をくぐり抜けるたびに、それまでは持ち得なかった審美眼が備わってくるからだろう。


平敷兼七の写真
[撮影/平敷兼七]

「貧乏、辛抱、希望ってお父さんがよく言っていたんです。残された日記にも、資金繰りのことや人間関係のことが書かれていました。『仕事が欲しい』とか、『あいつはなんでこんなことを言ったんだろう』とか」。あらためて向き合うことで、知ってるようで何にも知らなかったことに初めて気づくことが誰にでもある。

「ビンテージプリントの良さはなかなか伝わりにくいですが、カタツムリのようにゆっくり、じっくり発信し続けていきたいです。利益は出ていないけど、おかげさまでなんとかギャラリーを続けていられる状態になりました。去年の秋頃から、フランスやアメリカで展示会も開きましたし…」。

シャッターを切るのは人であり、レンズの向こうにも、プリントされた写真にも同じ人が立ち現れる。そして、人が残した思いは、絶えることなく人から人へ受け継がれていく。そのようにして、沖縄は何百年も沖縄であり続けてきたし、これから先もそうあり続けるのだろう。そんなことを感じさせてくれるのも、平敷兼七ギャラリーの魅力なのだろう。
 

平敷兼七ギャラリー

住所 /
沖縄県浦添市城間1-38-6
電話 /
090-3792-8458
営業時間 /
10:00~18:00
定休日 /
火曜日
サイト /
https://www.facebook.com/pg/kenshichiheshikigallery/
Instagram /
https://www.instagram.com/ken7gallery/

沖縄CLIP編集部

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