「沖縄の自然を活かして人が集まる仕事をしたい」両親が生まれ育った沖縄へUターン【IBISCOの安室優さん】

「沖縄の自然を活かして人が集まる仕事をしたい」両親が生まれ育った沖縄へUターン【IBISCOの安室優さん】

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歴史文化

初回投稿日:2017.07.08
 最終更新日:2024.05.17

最終更新日:2024.05.17

「沖縄の自然を活かして人が集まる仕事をしたい」両親が生まれ育った沖縄へUターン【IBISCOの安室優さん】 クリップする

琉球歴文化体験モニタープログラム

 
沖縄の旬を、触りすぎず、飾りすぎずの絶妙なアレンジで食べさせてくれるトラットリアが、那覇新都心の静かな住宅地にある。沖縄CLIPでも以前紹介したことがある『IBISCO』はイタリア語でハイビスカスのこと。生まれも育ちも東京の安室優(あむろ・ゆう)さんが、園美(そのみ)さんとふたりで切り盛りしているこじんまりとしたお店には、毎日リピーターが集まってくる。
 
10年ほど東京のイタリアンで腕を磨いた優さんが、沖縄に店を構えたのは2015年11月のこと。使いたいと思う食材が何でも手に入るし、ある意味お客さんにも恵まれている東京は、素材にこだわるシェフにとっては、地方に比べ腕を振るいやすい場所だ。なぜ優さんは東京を離れ、「台風が来れば魚が獲れない、野菜がしばらく手に入らない」という沖縄で、自分たちの店を始めることにしたのだろう。それも沖縄の食材に絞った料理を出す店を。
 
料理
 
優さんと沖縄との関係はかなり長い。お父さんが本島南部の八重瀬(やえせ)町、お母さんが糸満(いとまん)市の出身。そういうこともあって、幼い頃から毎年のように家族で沖縄に遊びに来ていたという。そして、高校生になって大人の仲間入りをしてからは、夏休みに一人で遊びに来ることも増えてきたそうだ。
 
そんなある日、南城(なんじょう)市の絶景レストラン『くるくま』に叔母さんに連れられて行った時、「沖縄でお店をやりたい」とふと思ったのが、IBISCOのそもそもの始まりなのだそうだ。「それからの高校三年間、学校が終わると、居酒屋でアルバイトをして料理の基礎を学びました」という優さん。卒業してからは迷わず専門学校へ。本格的に料理の世界へと進んだ。一時的に脇道にそれることはあったものの、高校1年生の頃思い描いた夢はまもなく実現されることになる。
 
料理
 
東京で十分に経験を積んだ優さんは、園美さんと一緒にいよいよ東京をあとにした。まず手をつけたのは、暮らしの拠点となる家探しから。訪ね歩いた不動産屋さんは、20軒をくだらなかった。ほとんどの不動屋さんが駅前にある東京とは違い、沖縄では不動産屋さんに辿りつくのもひと苦労。自然が豊かで眺めのいい場所で暮らしたいという思いはもちろんあったものの、「環境が違う場所に移って、さらに今までのライフスタイルと180度違う生活をするのは、あまりにもチャレンジングすぎる」。そう考えて、まずは那覇市内で沖縄に慣れるところから始めることにした。
 
「家探しって他のことと同じように、結局、出会いなんですよね」と園美さんは、当時を振り返る。「これがいいかもしれない」と、見にいった物件の近くにたまたま「空部屋」ののぼりを発見した園美さん。迷わずそこもチェックして、最終的に決めたのは、そこだったという。「このお店もそうでした。狙っていたわけではなく、たまたま出会いがあった物件でした」。そのようにしてスタートした沖縄での暮らしはどうだったのだろう。
 
安室優(あむろ・ゆう)さん、園美(そのみ)さん
 
「私はボディーボードをやってたんです。だから、きれいな海には目がいきますね。それから沖縄に来る前は、食にはそれほど深く向き合ってきたわけではなかったんですが、彼と生産者を訪ねたり、食関連のイベントに参加したりするうちに、『自然との関わりのなかで生かされている』と感じるようになったんです。あと、すごく身近なところに、やってみたいことがたくさん出てきましたね。例えばダイビングとか…」。話を聞いているうちに表情がどんどん明るくなるところを見ると、沖縄の生活をきっと満喫してるのだろう。
 
「旧暦で動いているとか、味付けが違うとか、生活習慣の違いはありますよね。自分たちの常識とは違う常識があるということを意識したほうがいいとも思います。たどってきた歴史も、文化も違うので、お互いがリスペクトし合って生活していけば、日々目にする歴史的なもの、古いものが、移住者である自分たちにも身近に感じられるようになるはずです」と貴重なアドバイスまでいただいた。
 
「人と人のつながりが密だし、距離が近いですよね」。「服とか物とか、そこまで贅沢をしなくても、味わえるものがたくさんあるし、生活を心から楽しめる」。これは優さんの感想だ。「僕らと生産者の関係もそうですが、たとえばスーパーで『あんた、これ何に使うねー?』って、初めて会うおばあさんに声をかけられるとか、東京ではなかったですからね」。沖縄で暮らすようになってからは、父親の生まれ故郷の八重瀬町で、若い世代が獅子舞や棒術などの伝統文化を継承しているのを見て、心が震えてしまうという。
 
料理
 
「価値観が違う場所だから、自分を今まで以上に客観的に見るようになりました。より良い関係性を築いていけるよう、相手の反応を前に、『どうしてこうなるんだろう』と考えるようにしています。すべてのことに、気付かされることが多いのも、暮らしてみての実感です」。真面目なところがあるのは優さんも、園美さんと同じらしい。
 
そういう二人にまた別の変化が最近、現れているようだ。「沖縄で成功している人には、共通していることがあるんです。それは仕事で忙しくしているはずなのに、プライベートをエンジョイしてるところです。オープンして1年、がむしゃらにやってきましたが、これからは僕らもプライベートの時間を大切にしていきたいですね」。
 
ごくまれに、「東京に帰ろうかと思ったことがある」という優さん。そういう時に自分を客観的に眺めると、沖縄に馴染みきれていない自分や、楽しめていない自分が見えてきたという。「いい部分も、そうでない部分もあるけど、出てくる結論は『もっと沖縄を楽しもう!』なんです」。そのようにして生まれた料理人としての優さんの哲学が、「食は人を生かし、食は人を活かす」なのだそう。食べることで身体がつくられる、食べることでイキイキと楽しく人生を送ることができるということのようだ。
 
料理
 
「東京時代の経験と人脈を活かせば、沖縄では手に入りにくい食材も手に入りますから、珍しさを前面に出したお店をやろうと思えばできたんですけど…、でも、それをわざわざ沖縄でやる価値を僕は見出せなかったんです。「地のもの」ありきの味の世界を大切にしていきたいと、そう思うようになりました」。熱が入ってきて堰を切ったように言葉が溢れ出はじめた優さんに、「地のものありきの味の世界」で鍵になるのがどんな食材なのか訊いてみた。
 
「今の僕にとって、一番のマルチプレーヤーは野菜です。たとえばグリルなら主役にもなれるし、肉の臭みを消すためのダシとして、脇役もしっかり務めてくれる。アクセントとして役者を影で引き立てる黒子のような役回りもできるんです」。沖縄の島野菜で好きなのはツルムラサキ。「東京で使っていたのは、クセがないからおいしいという野菜でしたが、クセがあるのがいい野菜だと、沖縄に来てから気付かされたんです。苦い、酸っぱい、えぐい。そいう味わいが本来の野菜の持ち味だと…。『土っぽい』とも言えるでしょうね。それは、ミネラルが豊富だということです。太陽から自分を守るために皮は厚くなるし、苦みやエグみがでてくるんです。自然な環境では、競争が起きるじゃないですか。お互いに必死に育つから、たくましい味がする」。
 
有機農業を20年続けている岸本洋子(きしもと・ようこ)さん
 
野菜のことをそういうふうに考えるようになったのは割と最近のことだという。「魅力ある生産者との出会いが今の自分をつくったんです」。IBISCOをオープンさせる前、優さんは有機農業を20年続けている岸本洋子(きしもと・ようこ)さんに巡り合った。「野菜の概念を覆されました。甘くて、まるでフルーツのようなニンジンを食べて、『おいしい』と感じる。それが当たり前だと思って野菜に触れてきましたが、土壌の栄養を食べて、自然の力で育つ野菜は苦いし、エグいし、東京のものさしで言えば、“まずい”野菜なんですよ。でも、丁寧にあく抜きをしたり、下ごしらえをしたり、人の手できちんと面倒を見ると、本当においしい野菜に変化してくれるんです」。
 
岸本ファームの野菜やハーブを見る優さん
 
岸本ファームのハーブや食花
 
ますます熱を帯びる優さんを園美さんが嬉しそうに眺めている。「休みの日に岸本さんのところに仕入れにいくじゃないですか。帰ってくると彼から熱い話をきかされるんです。その日の新しい発見を、子どもみたいに嬉しそうに…」。
 
そこで再び身を乗りだす優さん。「新都心でお店をやってると沖縄にいる気がしないんです。仕入れで畑に出かけると、そこで野菜やハーブが元気に育ってる。生命を感じてほっとするんです。生命をいただいていること、生かされていることを実感できるんです」。料理人と生産者との距離が近いところが沖縄の魅力だという。牛は伊江牛などの県産牛、豚肉も県内産、魚は泊の魚市場から近海ものを自ら仕入れてくる。ヤギやイノシシも時々手に入る。野菜は東京にいた時よりも種類が増えた。
 
岸本ファームの野菜やハーブを見る優さん
 
「地元の若い人は、大阪とか東京のレストランで働きたいと出て行くじゃないですか。こんなに魅力的な食材があるのに、寂しいなあと思うんです。だから、県外で働いている若い子たちが、『沖縄でもかっこいいことできるじゃん』と感じてもらえるような、沖縄に戻って仕事をしたいと思ってもらえるような、そういう店にしていきたいんです」。
 
そう語る優さんは、IBISCOをオープンさせた2015年に、10年後(2025年)のビジョンをすでに思い描いていたそうだ。それは眺めがいい場所にあるオーヴェルジュ。高校一年生の頃の夢とほぼ同じ。「慶良間諸島に安室島という小さな島があるんですよ。宿泊施設とレストランが一つになったオーヴェルジュは、そこまでわざわざ行ってみたいと思ってもらえる価値がないと成り立たない。だからこそ、やりがいがるんです」。
 
「沖縄に来てから積極的で前のめりになった」と自己分析する優さん。それは、自分の足で生産現場を周り、いいものや、魅力的な人に出会ってきたからだろう。沖縄だからこそできるものがある。そういうふうに考えているのだろう。「『沖縄の自然を活かして人が集まる仕事をしたい』。昔、父が思いつきかもしれないですが、そう言ったんです。聞いた瞬間に自分もそれをやりたいと感じたんですよ」。父から子へ。受け渡された夢が実現する日もそう遠くはないはずだ。
 

IBISCO イビスコ

住所 /
那覇市久茂地2丁目10-19
電話 /
098-988-3111
営業時間 /
dinner/18:00~23:00 (L.O)21:30
定休 /
木曜日
Instagram /
https://www.instagram.com/ibisco2015okinawa/

沖縄CLIP編集部

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