7年ぶりに復活!南城市大里の“うふざとムーチー祭”
7年ぶりに復活!南城市大里の“うふざとムーチー祭”
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歴史文化
初回投稿日:2016.01.22
最終更新日:2024.03.27
最終更新日:2024.03.27
旧暦の12月8日、『ムーチーの日』にあたるこの日。南城市大里(なんじょうしおおざと)の西原集落では、7年ぶりに『うふざとムーチー祭』が開催されました。
この時期特有の冷え込み“ムーチーびーさ(寒さ)”も相まって、生憎のお天気となりましたが、地元や県内各地から訪れる人でにぎわいました。地元の方に教えていただきながら、親子でのムーチー(餅)包み体験も行われました。7年ぶりに復活した行事とあって、放送局や新聞社の取材も来ていましたヨ。
ムーチーはサンニン(月桃/げっとう)とよばれる香りのよい葉で包みますが、出来上がった時に葉っぱからお餅が飛び出さないように、また開いた時に食べやすいように、上手に包んでいきます。
きれいに包んだムーチーは、“シンメーナービ”とよばれる大きな鍋で蒸し上げられます。ちなみに、この沖縄の伝統行事には欠かせないシンメーナービ。多勢に汁ものを振る舞うなど、冠婚葬祭のさまざまなシーンで活躍しますが、戦前は鉄製、終戦後は戦闘機の残骸を利用してつくられたこともあったそうです。現在は、リサイクルされたアルミ缶などを材料にしているそうです。
鍋にバーキ(竹かご)を敷き、その上にムーチーをどんどん並べていきます。30分~40分ほど蒸せば出来上がり。
ムーチーが出来上がるまでの間は、地域の方による紙芝居も披露されました。“鬼ムーチー”の伝説は、那覇市の首里金城(しゅりきんじょう)町にも伝わっていますが、ここ西原集落もその伝説の由来地として語り継がれています。
昔、西原集落にある兄妹がいましたが、兄は集落はずれの洞窟に住むようになり、次第に人を殺し食べる鬼へと変わりました。その姿を見た妹は、餅を鬼に差し入れ、鬼がお腹いっぱいになったところで、崖から突き落とし、鬼を退治したそうです。それ以来、西原集落では、厄年の人が中心になってムーチーを作り、厄払いや健康祈願をしたそうです。
会場内では、ムーチーを包むサンニン(月桃)の茎や葉を利用した、コースターや民具作りなどのワークショップも開かれていましたヨ。抗菌・防虫・消臭効果をはじめ、赤ワインの34倍も含まれるポリフェノールは高酸化作用でアンチエイジングにもよいという研究もなされていたりと、サンニン(月桃)は、いろいろな方面からそのパワーが注目されていて、南城市でも『月桃再発見プロジェクト』が立ち上げられています。
さあて!あたりもサンニン(月桃)の香りに包まれて、ムーチが蒸し上がったようです。沖縄では、“初ムーチー”といって、その一年内に子供が生まれた家では、親戚や近所にムーチーを配る風習もあります。
最近ではあまり見かけなくなりましたが、“力(ちから)ムーチー”といって、男の子がいる家では、写真のクバ(蒲葵)の葉でくるんだ“シル(白)ムーチー”を作るところもあります。“力持ちになりますように”という願いが込められているそうです。
また、西原集落では、“ムーチー家(やー)”という茅葺きの小さな小屋を燃やす行事もあるそうです(ただし、この日は雨天のため燃やす行事は行われませんでした)。戦前などの昔は、ムーチーの日だけは、子供たちは農作物を畑から好きなだけ穫って、この小屋の中でひと晩明かしたそうです。まだ、食べるものも豊かになかった時代、子供たちの無病息災を祈るカタチのあらわれでもあったのでしょうね。
ムーチーは、各家庭では仏壇や台所のヒヌカン(火の神)にお供えします。旧暦12月8日、その一年への感謝と、新しい年への健康祈願を込めてご先祖さま、うさがみそ~れ~(お召し上がりください)。ウートートーと小さな手を合わせながら姪っ子がひと言。『オバァ、ムーチー食べたらのどに詰まらさないかネー?』 仏壇からオバァの高笑いがきこえてきました。『やーが、シワすなけー(あんたが心配しなくても大丈夫よ)』。師走なだけに、お後がよろしいようで。
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