<沖縄の伝説ぶらり歩き> 尚巴志生誕伝説 ~ 南城市

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歴史文化

初回投稿日:2015.12.30
 最終更新日:2024.09.02

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琉球王国が成立する以前、14世紀頃の沖縄本島は、北山・中山・南山の3つの勢力圏・三山がしのぎを削っていました。100年ほど続いた三山時代に終止符を打ち、1429年、最初に琉球を統一したのが尚巴志(しょうはし)です。尚巴志生誕の地として知られるのが沖縄本島南東部の南城市(なんじょうし)。市内には数多くの尚巴志ゆかりの地が点在しています。今回は尚巴志の生誕伝説にまつわるところを中心にぶらりと歩きます。

ガジュマル
「イビの森」の中心で圧倒的な存在感を放つ巨木
 
南城市佐敷新里(さしきしんざと)に佇む「イビの森」。イビの森には、村の氏神である「イビの御嶽(うたき)」が祀られています。1959年に発生したシャーロット台風の被害で埋没してしまった「場天御嶽(ばてんうたき)」をはじめ5つの拝所が「イビの森」へ移され、合祀されています。場天御嶽は、尚巴志の祖父にあたる佐銘川大主(さめがわうふぬし)を祀っています。

「場天御嶽」
1959年の天災を機に、佐銘川大主の屋敷跡からイビの森に移され合祀された「場天御嶽」
 
沖縄本島北西に位置する伊平屋島(いへやじま)で生まれた佐銘川大主は、佐敷馬天(ばてん)に移り住み漁をして暮らしていました。ある日、魚の行商で大里(おおざと)村へ出掛けた際に、豪族である大城按司(あじ)の目にとまった佐銘川大主は、望まれて按司の娘婿となりました。

尚巴志の父・苗代大比屋の屋敷跡
南城市佐敷佐敷に残る尚巴志の父・苗代大比屋の屋敷跡。地名に佐敷佐敷と続きますが、誤植ではありません。2006年の合併により南城市となる前は、島尻郡佐敷町佐敷でした。旧町名が南城市のあとにそのまま残っているので南城市佐敷佐敷となっています
 
ふたりは一男一女を授かり、男の子は苗代大比屋(なーしるうふやー)、女の子は場天ノロとなりました。※ノロ(祝女)とは村落の祭祀を統轄主宰する神役女性のことです。

左奥が「つきしろの岩・井」
左奥が「つきしろの岩・井」。道らしいものはなく、あたりいったい草木が生い茂っています
 
成長した苗代大比屋は、佐敷の有力者・美里之子(みさとのシー)の了承を得ずに、美里之子の娘と恋仲になりました。やがて、ふたりの間に授かった赤子が尚巴志です。尚巴志生誕の地として有力な場所が、「つきしろの岩」です。つきしろの岩は、苗代大比屋の屋敷跡の裏手にあり、つきしろの岩のすぐ下にある「つきしろの井(カー)」を産湯にしたと言い伝えられています。

「つきしろの岩・井」
尚巴志生誕の地と伝わる「つきしろの岩・井」。尚巴志は1372年に生まれました
 
美里之子の娘は、産まれたばかりの赤子のことを父に言い出すことができず、泣く泣く赤子の生命を絶とうとします。そこへ白髪の老人が現れ、「この子はただ者ではない」と言って、苗代大比屋のもとに赤子を届けたという伝説があります。老人によって助けられた尚巴志でしたが、美里之子の娘は、どうしてよいかわからず、今度は赤子の尚巴志をひと目のつかないところへ捨ててしまいます。
美里之子の娘が尚巴志を捨てたと言われる場所が南城市内に2ヶ所あります。ひとつは、尚巴志を出産したと伝えられる「つきしろの岩・井」。もうひとつが玉城喜良原(たまぐすくきらばる)、新里坂(しんざとびら)を登り切った近くの「アマチジョーガマ」です。共通点は、どちらも公道からほんの少し離れただけなのに、豊かな自然が残っていることです。

サンニン(月桃)の花
「アマチジョーガマ」入口で季節外れのサンニン(月桃)の花に出会いました
 
赤子を捨ててしまった美里之子の娘ですが、やはり母親。我が子が気になり、数日後、捨て置いたところへ行ってみました。すると、犬が乳を与え、白鳥に抱かれて元気に育っている我が子の姿を目の当たりにします。

アマチジョーガマへ続く小径
アマチジョーガマへ続く小径。まるで緑のトンネルです
 
捨て去った我が子が動物たちに育てられていることを知った娘はいよいよ、「この子はただ者ではない」と思い、美里之子にすべてを打ち明けます。話を聞いた美里之子は、苗代大比屋と娘の仲を認め、晴れてふたりは結婚。堂々と尚巴志を育てることができるようになったそうです。

アマチジョーガマの拝所外観
アマチジョーガマの拝所外観。大きな岩々と緑に囲まれています
 
1372年に生まれ、1439年に没した尚巴志。500年以上前から、尚巴志を慕う多くの人々がここで祈りを捧げてきたことでしょう。木漏れ日が照らしだす拝所には厳かな空気が漂っていました。

「アマチジョーガマ」
「アマチジョーガマ」の「ガマ」とは「洞窟」のこと。拝所の奥は、洞窟になっています
 
<沖縄の伝説ぶらり歩き>
「つきしろの岩・井」も「アマチジョーガマ」も、どちらも沖縄の自然がそのまま残っているところ。人の往来で踏みしめられた小径がかろうじて参道だとわかります。ひとりで歩いた拝所への緑のトンネルでは、毒蛇ハブが出やしないかとドキドキ。みなさまも訪れる際はご注意くださいね。町中から少し入っただけで古き時代を彷彿させる拝所に、誰もがきっと、神聖性を強く感じるはずです。

高台からの眺め
安積美加

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