おいしい! には訳がある。父子で取り組む沖縄産のパイナップル

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初回投稿日:2021.06.24
 最終更新日:2024.04.03

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パイナップル農園

沖縄本島北部、名護(なご)の旧市街からくねくねした道を山に向けて登っていく。車窓からは生い茂るヘゴの緑が目に入る。緑の影が心地よい。自然に守られるように木々に囲まれているパイナップル畑。やんばるに来たという実感が湧いてくる。畑には両手のひらの大きさのパイナップルが元気に育っている。品種はゴールデンバレル。

「息子の就農に合わせて土づくりをし、パイナップルの苗を育て、準備してきたんです」

風景に見とれるれる私に声をかけたのは宮里幸啓(みやざと・ゆきひろ)さん。地元の農業大学校を卒業し、JAで営農指導に携わったあと就農。野菜から果物まで広く栽培してきた。

少し後ろに下がるようにして立つ長身の若者は、息子の真瑠武(まりむ)さん。農業大学校を卒業して、親元就農したばかりだ。高校生の時からパイナップル一本で農業をやっていきたいと決めていたというが、きっかけの一つは、高校の友人との出会いだった。彼のお父さんは、長きにわたり高糖度のマンゴーを生産し成功しており、知り合った時から、「いつかこんな人のようになりたい」と夢をふくらませてきた。
「自分が持っている農機具や資材は、すべて息子に譲るつもりです」と幸啓さんは言う。いずれ親元を離れて独立していくことになるはずの真瑠武さんを眺めるその顔には色々な感情が浮かんでいるようだった。

パイナップル

父と子による二人三脚のパイナップルづくり。宮里さん親子はふたつのことにこだわっている。まずは美味しいパイナップルをつくること。もう一つは沖縄のかけがえのない海を汚さない農業を続けることだ。おいしいパイナップルを世に出すために、それぞれの産地や農家が各地で頭をひねっている。数年前に全国的に話題を集めた塩パインもその一つだった。畑を案内してくれている宮里さんに、おいしいパイナップルづくりの工夫について尋ねてみた。

パイナップルの実

「微生物の力を活かすことを心がけています。魚のアラや海藻、海水を餌にして、微生物を繁殖させてるんです。アミノ酸が豊富な液肥ができるので、それを定期的に散布しています。そうすると、糖と酸のバランスがいい具合になるし、色艶も良くなるんですよ」

なるほど、魚や海藻にはミネラルがバランスよく含まれている。そこに微生物の力が加われば土壌そのものが健康になる。

「あとは、土ですね。作物に合わせて土壌を改良してこそ、育ちが良くなり、結果的に味も良くなるんです」。

パイナップル畑

「それに、環境ですね。環境なくしては農業はできない」と、幸啓さんは言葉を続ける。大雨の後、畑などから流れ出た赤土が沖縄の青い海を赤く染めることは、以前から問題になってきた。宮里さんたちは畑の周囲にベチパーという植物を植え、さらには、表土の下にある岩盤層に特殊な技術を使って切れ込みを入れ、雨水浸透しやすくすることで赤土の流出を二重に防いでいる。

パイナップルの葉

「この技術は沖縄生まれで特許もとっていているんです。カンボジアにも技術協力で導入され、ソルゴーの収量を5倍になったという実績もあるんですよ」

幸啓さんは自分のことのように嬉しそうに説明する。

「この技術は、そのままおいしいパイナップルに結びつくんです。雨水が表面に残らないから、パイナップルの根が張りやすくなる。酸素を取り入れやすい環境ができるから、健やかにすくすく育つようになる。病気にもかかりにくいし、パイナップルが水っぽさのない濃厚な味わいになるんです。おまけに畑によって濾過された水が海に送られるし、伏流水にもなる」

パイナップル農園の鳥よけ

さて、パイナップルは一般的には全体の3割から5割が熟した頃に出荷されることが多いという。でも、宮里さんは8割熟すまで辛抱強く待つことにしている。

「美味しいパイナップルは熟度でも決まる。追熟しないので、完熟の手前まで待てるだけ待った方がいい。毎年カラスとの勝負ですよ。でも、鷹の仕掛けをしてからは被害に遭ってないんです」

出荷のピークは例年だと8月10日頃。畑が比較的高いところにあり、気温が少し低いことが影響しているという。多くの農家が5月の終わり頃からネットをかけ始めるが、宮里さんはギリギリまでかけない。太陽の光をできる限り長く浴びさせたいからだ。

パイナップル農家の師匠、比嘉さん

試行錯誤を繰り返して美味しいパイナップルづくりに励む宮里さん親子には、心強い師匠がいる。40年もの間、パイナップルの研究に取り組んできた比嘉さんだ。宮里さんがJAのパイン対策室にいた時、パイナップルのアドバイザーを務めていた比嘉さんと出会ってから10年近いつきあいになる。

「少しでもわからないことがあると連絡をして教えてもらってるんです」と宮里さん親子は比嘉さんに目線を送りながら言う。その表情はどこか誇らしげだ。比嘉さんの畑は沖縄のパイナップルの発祥の地にある。「パイナップルの産地は本部半島の嵐山から本部町伊豆味(もとぶちょういずみ)へ、そして、石垣島へと広がっていったんですよ」と比嘉さん。産地が広がっていったように、比嘉さんから幸啓さんへ、そして、真瑠武さんへ、3世代にわたってパイナップルづくりにかける情熱と技術が受け継がれている。

パイナップルの苗

宮里さんが力を入れているゴールドバレルは沖縄で育成された品種だそうだ。他にはハワイにルーツがあって名護市で品種改良されたN種、インドネシア原産のボゴールも育てている。

「一番好きなのはゴールドバレルです。段違いに味がいいし、舌触りも滑らかで、香りは力強くて豊かなんですよ。糖度の高い品種にサンドルチェというのがあるんですが、確かに甘くて美味しいですよ。でも酸味がない。ゴールドバレルは、甘味と酸味のバランスが抜群なんです。芯まで食べられるし、無駄が出ない。それから、食べる人には関係ないですが、葉っぱがノコギリみたいにギザギザ尖っていないから、維持管理するときに痛い思いをすることもないですし(笑)。でも、ゴールドバレルには、まだ栽培上の課題が残っているんです。他の品種と違って次の年の芽が出ないので、2年かけて育てても、収穫したらまた植え直しが必要なんです。それに、実っても収穫できるのは50%。一般的には80%収穫できるんですけど…」と語る真瑠武さんは農業青年の顔に戻る。

パイナップル畑

「小さい時から植物に惹かれていましたし、小学校4年生の時に父がパイナップルを栽培し始めたんですね、手伝いながら興味が湧いてきました。野菜は若い人もやってるじゃないですか。でも、パインは後継者不足が課題になってるんですよ。自分が後継者になることで、盛り立てていけたらと、いつの間にか思うようになったんです」

農業大学校では、農家を訪ねたり、農業研究センターに足を運んで、パイナップル栽培の知識を取り入れ、技術を身につけてきた。

「沖縄のフルーツといえば、マンゴーじゃないですか。ダントツの人気で、パインはマンゴーの影に隠れてる。同じくらいのレベルに持っていくのが自分の目標です」と、少しはにかみながら語ってくれた。

真瑠武さんは獅舞風(しまかじ)という獅子舞の団体のメンバーでもある。農業のかたわら、仕事の後に時間を作って週に2回、車を走らせ、浦添市まで稽古に通っているそうだ。外見は、いまどきの若者という感じだが、やはり、沖縄の熱い血が流れているのだろう。
 

沖縄CLIP編集部

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