今、私が贈りたい沖縄みやげナンバーワン!琉球みやらびこけし

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初回投稿日:2016.05.21
 最終更新日:2024.05.31

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『琉球みやらびこけし』
 
この島に生まれ育ってやがて半世紀。なのに、つい去年までその存在を知らなかった『琉球みやらびこけし』。誰かにおみやげやプレゼントを贈るなら、今、私は迷わずにこれを選びます! 花笠をかぶった紅型の琉装姿の「四つ竹」、頭にバーキ(かご)を乗せた魚売りの「糸満(いとまん)娘」、琉球絣姿の「絣帯」。高さ20センチほどのなんとも愛らしいこけしたちです。
 
障がい者支援施設「太希おきなわ」の利用者のみなさんが、丁寧に手作りした
 
この『琉球みやらびこけし』、実は本島南部の八重瀬(やえせ)町にある障がい者支援施設「太希おきなわ」の利用者のみなさんが、一つ一つ丁寧に手作りして生まれているものなんです。角材を円筒状に切り出す作業から、絵付けの仕上げまで利用者のみなさんで行っています。
 
材料となるのは、琉球松やエゴノキ
 
材料となるのは、琉球松やエゴノキ。もともと台風や塩害対策として植えられてきた琉球松。そのくねくねした幹から出る美しい木目を活かした琉球松バージョンは密かな人気なのだそうです。
 
機械を使ってこけしの形に整えていきます
 
円筒状に切り出したものを、さらに機械を使ってこけしの形に整えていきます。もちろん細かい削りの微調整は手作業です。
 
きれいに成型されたこけしたち
 
きれいに成型されたこけしたちが、今か今かとお化粧してもらうのをワクワクしながら待っているようです。
 
絵付けを施すのは、この道40年以上の大ベテランさん
 
絵付けを施すのは、この道40年以上の大ベテランさん。右手の自由がきかないため、左手だけで絵付けを行います。
 
絵付けを施すのは、この道40年以上の大ベテランさん
 
立体、それも丸みを帯びた曲線のものに、真っすぐ線をひくのは健常者でも至難の技。ひと筆かいては、筆を口にくわえ、手でこけしを回し、また筆を持ち描くという風に、長年の熟練で培われた独特のリズムで作業が進められます。
 
赤い帯を塗ったあと、琉球絣の紺色を施しているところです
 
こちらの方は、「絣帯」のこけしに赤い帯を塗ったあと、琉球絣の紺色を施しているところです。
 
左手で色を塗りながら、左腕の中ほどでこけしを固定させて色をぬる
 
おわかりになるでしょうか? 左手で色を塗りながら、左腕の中ほどでこけしを固定させつつ。それから、そのまま左腕中ほどで器用にこけしを回転させ、また色を塗り始めます。まさに職人技です。
 
頭にかぶる花笠の絵付け
 
頭にかぶる花笠の絵付け。細かい作業はみなさん目が疲れるそう。筆や材料をのせる台など、道具もひとつひとつ使いやすいように自分たちで考え出したのだそうです。
 
「琉球みやらびこけし」
 
「琉球みやらびこけし」が誕生したのは、沖縄が本土復帰した1972年、今から44年も前のことです。“沖縄にも新たな産業を”と立ち上げられた民芸物産の会社からの委託を受け、製作がスタートしました。復帰から3年後の『海洋博』でもこけしは人気を博し、1974年には「糸満娘」が通産大臣賞を受賞しています。作業室の壁には、オープン当初作られていた今では幻となった作品たちが並びます。
 
紅型を着たこけしに手紙用の巻紙がついた「ハイサイ・ドール」
 
こちらは、紅型を着たこけしに手紙用の巻紙がついた「ハイサイ・ドール」。昔から米軍基地内のみやげ品店では高い人気を誇り、沖縄を離れる兵隊さんにお別れのメッセージを添えて贈られたのだそう。昔は“サヨナラ・ドール”と呼ばれていたといいます。
 
総勢5〜6名ほどの作り手のみなさん
 
総勢5〜6名ほどの作り手のみなさんの手仕事から生まれる「琉球みやらびこけし」は、1ヶ月にわずか30〜50体。“みやらび”とは、沖縄の方言で「美童/美しい乙女、娘」のこと。みなさん、完成したこけしを送り出す時は、娘を嫁に送り出すような気持ちなんだそう。
 
「琉球みやらびこけし」
 
描き手によっても、ちょっとづつ顔の表情が違っていたりして、一つ一つ手にとってふれていただきたい「琉球みやらびこけし」。手塩にかけた箱入り娘たちばかりです。
 
「琉球みやらびこけし」
 
きれいにお化粧してもらって、ユンタク(おしゃべり)しながら待ってますよ。
 

沖縄CLIP編集部

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