遊女達の晴れ姿二十日正月ジュリ馬行列祭り
遊女達の晴れ姿二十日正月ジュリ馬行列祭り
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歴史文化
初回投稿日:2016.02.23
最終更新日:2024.03.27
最終更新日:2024.03.27
沖縄には二十日正月(ハチカソーグヮチ)という正月の祝い納めをする伝統があります。その日、那覇市の辻町一帯で「ジュリ馬行列祭り」を見ることができます。
「ジュリ」とは沖縄の方言で=尾類(遊女)のことで、琉球時代、那覇には、辻(チージ)、仲島(ナカジマ)、渡地(ワタンジ)と呼ばれる三大遊郭地域がありました。ジュリ馬行列は、辻の各遊郭から選ばれたジュリたちが、華やかに着飾り、馬の頭の飾りものをつけ、 「ユイユイ」と威勢よく声をあげながら、道路を練り歩くお祭りのことです。かつては「那覇大綱挽き」「那覇ハーリー」と並んで那覇三大祭と呼ばれていましたが、1988年を最後に公娼制度を認めるものとして女性団体から反発され、以来1999年までの12年間途絶えていました。しかしながら、地域の人から「伝統を継承していく義務があるし、地域の活性化にもつながる」との声が上がり、辻町を宣伝することで観光客誘致にもつながるとして2000年に復活、現在では保存会がジュリ馬行列を行っています。
神人(カミンチュ)達が遊女達のゆかりの地を周り、拝むことからスタートします。
遊女達による馬舞者(ンマメーサー)で先人達のお墓の前で奉納演舞を行います。
琉球時代、農村地区はかなり貧しかった為、ジュリ達は家庭の事情で親に売られてきた娘達が多かったと言われています。借金の返済が済まないと自由に実家へは戻れないし、借金を完納しても汚らわしい存在として扱われるので、実家にも戻れません。
自由に外出することの出来なかったジュリたちが、この旧1月20日のジュリ馬行列の時にだけ、外の世界にいる家族に自分の元気な姿をみせることができたのです。そんな彼女たちが馬舞者になって、町を練り歩く時、 華やかな雰囲気の中で自分の娘の姿を目頭を熱くして見ている親や兄弟が居たそうです。
ジュリ馬行列は、旧暦の1月20日(今年は2月27日)に、那覇市の辻近辺で見ることができます。町内にある拝所を参拝しながら三線やドラに合わせて踊る姿は見ごたえありますよ。
もともと花街(芸妓屋、遊女屋が集まっている地域のこと)である辻は、政財界の要人、官公庁・教育界の指導者をはじめ、那覇の商人などが出入りし、接待や宴会が行われていました。
ジュリ達は、お客をもてなす為に料理や唄・三線・琴・踊りなどの芸事にも磨きをかけ、言葉・立ち居振る舞いから、衣装・髪型・料理・芸能に至るまで独自の文化を創り上げたそうです。
現代では花街=不純という見方が強い一方で、昔は生活の為に家族と離れたジュリたちは、芸能を身につけ次の世代へと繋ぐ重要な橋渡しとして、今日の琉球芸能の一部を築き、育んできた誇るべき文化であると私は思います。2016年は2月27日の午前中にスタート、見学も可能です。年に1度その場所でしか見ることのできない琉球芸能「ジュリ馬行列祭り」を、ぜひ見ていただきたい思います。
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