沖縄の旧正月の過ごし方
沖縄の旧正月の過ごし方
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歴史文化
初回投稿日:2016.02.22
最終更新日:2024.03.27
最終更新日:2024.03.27
グスーヨーチュウウガナビラ(皆様こんにちは)。先日2月8日は旧正月でした。沖縄は旧正月を祝う文化が根強く残っていて、今でも特に糸満市(いとまんし)や勝連(かつれん)地域などウミンチュ(漁師)の町では旧正月を重んじています。そんな沖縄には旧正月にもイベントがたくさん行われますが、その中から「沖縄若水伝説」についてご紹介したいと思います。
若水とは全国的にある風習の一つで、元旦に初めて汲む水のこと。
沖縄での若水の歴史は沖縄がまだ琉球だった頃、尚真王代(1477年~1526年)から首里城へ若水を献上したと記録されています。
伝説では、昔お月様が人間を若くしてあげようとして、天の水を汲みましたが誤ってその水を地上にこぼしてしまいました。
こぼした場所に蛇がいて、天の水がかかり脱皮して若返ることができました。人々はそれを見て、天の水で手足を洗い若返ったと伝わっています。
以後、正月の早朝に早く起きた人が若水を汲み、その水で「お水撫で」をすると若返り、 今年も健康な一年を過ごせると信じられているのです。
昭和初期の頃までは、元旦の朝になると「若水デービル、 若水ウサギヤビラー」との売り声が家の路地から聞こえました。
沖縄での若水の歴史は沖縄がまだ琉球だった頃、尚真王代(1477年~1526年)から首里城へ若水を献上したと記録されています。
伝説では、昔お月様が人間を若くしてあげようとして、天の水を汲みましたが誤ってその水を地上にこぼしてしまいました。
こぼした場所に蛇がいて、天の水がかかり脱皮して若返ることができました。人々はそれを見て、天の水で手足を洗い若返ったと伝わっています。
以後、正月の早朝に早く起きた人が若水を汲み、その水で「お水撫で」をすると若返り、 今年も健康な一年を過ごせると信じられているのです。
昭和初期の頃までは、元旦の朝になると「若水デービル、 若水ウサギヤビラー」との売り声が家の路地から聞こえました。
琉球王朝時代、首里城では師走になると沖縄本島北部の辺戸にノロを遣わせて御水を汲んできたといわれています。
県内には水を汲める場所が数カ所ありますが、中でもお勧めしたいのは本島の東側、金武町(きんちょう)にある「金武大川(ウッカガー)」です。
金武町並里集落の中央に位置する部落共同井泉で、カーヤマを背に湧出る清水の水量は県内でもトップクラス!! 集落の下には金武町名産のターム(田芋)畑も広がっていて、自然を堪能することができます。
沖縄は、琉球石灰岩でできた地下の鍾乳洞を流れてきた湧き水が県内のいたるところから湧き出ています。しかし、そもそも大きな山や川がない沖縄は水資源に乏しい島でした。
今でこそ水道の蛇口を開けば簡単に手にすることのできる”水”ですが、ひと昔前までは、水浴、飲料水、洗濯から食物の栽培、牛馬の水浴せ場など様々な用途に渡り活用し、人々に大切にしてきました。
今でこそ水道の蛇口を開けば簡単に手にすることのできる”水”ですが、ひと昔前までは、水浴、飲料水、洗濯から食物の栽培、牛馬の水浴せ場など様々な用途に渡り活用し、人々に大切にしてきました。
水場には人々が集まり、会話がうまれ、笑顔が溢れる。こんこんと湧き出る水を眺めると現代人に不足している人と人との絆であったり、対話能力、地域社会のあり方について考えさせられます。
今回金武町の大川をとりあげた理由としては私自身が撮影で伺った際、地域の子供とお年寄りが楽しいそうに水を汲みながら会話をしているのを見かけ、現代社会に不足している何かがここにはまだ残っていると思ったからです。
金武大川は集落の人々にとって欠かせない水場であり、金武町指定文化財にも認定されています。
金武大川は集落の人々にとって欠かせない水場であり、金武町指定文化財にも認定されています。
子は親を敬い、親は年寄りをいたわる。弱きを助け強きをくじく、子育ては地域社会で支え合いムンナラーシ(物事の道理を教えること)していくことができれば、この世の中はもっと楽しくなるのではないかと思います。
年の初めに若水で身も心も清め、金武町で古き良き沖縄を見ながら、自分と向き合う時間を作ってみるのはいかがでしょうか?
金武大川
- 住所 /
- 沖縄県金武町金武640
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