国宝治金丸と宮古島との縁を巡る

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歴史文化

初回投稿日:2015.06.21
 最終更新日:2024.03.27

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沖縄の聖地
沖縄の聖地にて
 
沖縄には、神人(カミンチュ)と呼ばれる人たちがいます。平和な世を願い、日々祈りを捧げられたり、過去世から未来を予知されることもあります。そのような方々とときどき知り合うことがあり、今から10年程前のこと、ある神人さんに前世を言い当てられました。
 
「あなたの前世は海賊(倭冦)で、日本刀を宮古島に運んだ。それがのちに王家に献上された。その宝刀の名は『治金丸(ちがねまる)』という」と告げられたことがあります。あまりにも唐突で、しかも海賊?! そのときは半信半疑だったのですが、その後、本物の『治金丸』を目の当たりにすることになったのです。

那覇市歴史博物館
 
そのお告げの翌年、2006年7月8日に那覇市歴史博物館がオープン。『国宝 琉球国尚家関連資料展』が開催され、取材で伺うことになりました。本当は、同日に宮古島に旅行する予定だったのですが、台風接近のために旅程を断念。急きょ、那覇市歴史博物館の開館記念の展示のほうに訪れることになったのですが、そこの取材現場で、国宝となっている名刀『治金丸』が実存していることを、自分の目で確認することができたのでした。まさか、ご対面する日がやって来るとは!

宝刀『治金丸』
 
沖縄(琉球)の宝刀は、『千代金丸(ちよがねまる)』『治金丸』『北谷菜切(ちゃたんなきり)』の3本。そのうちの『治金丸』については、「拵・刀身とも日本製で、宮古島の統治者・仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)が1522年に尚真王(しょうしんおう)に献上した」と、確かに資料に記されています。通常は撮影禁止ですが、その日は取材で特別に撮影することもできたのです。いきなり宮古島に行く前に、先に知っておかなければならない大事な事を予習させられているのではないか? と感じました。そして実際、のちに宮古島にて、とくに狩俣(かりまた)集落ではもっと深い出会いが連続していきます。
 
宮古島の狩俣集落入り口
 
ところで、僕の故郷は五島列島。その島々のひとつ、若松島は中世の頃、「狩俣島」と呼ばれていたそうです。偶然でしょうか? 実は、中世の頃から琉球の島々と倭冦とのつながりが深いらしく、『琉球諸島における倭冦史跡の研究』(昭和32年発行/稲村賢敷著)にそのことが記されています。また、狩俣集落といえば、平家の落ち武者が住み着いた集落とも言われています。実際に狩俣で、平家の末裔のかたとお会いする機会がありました。その家に代々残されている文献には、宝刀・治金丸のことも書き記されているではないですか! そのような不思議な巡り合わせを実体験したのでした。
 
「あなたは、前世を信じますか?」
 
沖縄好きが高じると、「あなたは前世で沖縄に住んでいたんだよ〜」って言われることがあるかも?! それをきっかけに、魂を巡る旅というのも面白いですよ。このあとも、この話はまだまだ続きます。
 

桑村 ヒロシ(KUWA)

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