琉球プロスケーター•ヒゲの三世と沖縄スケートカルチャー

琉球プロスケーター•ヒゲの三世と沖縄スケートカルチャー

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歴史文化

初回投稿日:2016.02.13
 最終更新日:2024.04.11

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沖縄のストリートカルチャーは、本当に個性的な人が多い。綺麗に洗練された東京とはまた違う、琉球独特の土着の匂いがいいスパイスになって、オリジナルの強烈なオーラを放つ。以前紹介したRyuukyu.comはそんな人たちの溜まり場なのだけれど、彼らの中でもひときわ個性的な男が三線を毎週のように弾いていた。

伊藝(いげい) "三世" 雄一。
綺麗に整えられたヒゲと腕までしっかり掘られたTatooが印象的な三世は、全国的にも名の知れたプロスケーターだ。南の島のラテンな空気をそのまま身にまとった豪快なキャラクターで、次々と難しいトリック(スケートの技)をキメていく。三線の腕前もまだ始めて3年という割にはたいしたもので、「俺はやるときは0か100かしかしないから」という言葉通り、去年はたっぷり三線にはまった1年だったそうだ。むしろそういう人じゃないと、プロのスケーターにはなれないのだろう。
スケートボード
そんな彼がスケートを始めたのは今から18年前、彼が中学1年の時だ。友人がスケートを始めるようになって、サッカー少年だった三世も面白半分に始めてみた。最初は家のベランダで手すりにつかまりながら練習し、「こんなの本当に滑れるようになるのか」なんて思っていたそう。いつも一歩前をいく友人の後を追っていたが、一度もの凄く大きく転倒した悔しさがきっかけで、スケートにのめりこんでいった。高校を卒業後に上京した後はスケート三昧の生活を送り、20歳になるころにはスポンサーも付いた。

その後スケートをやりながら上京と帰沖を繰り返している中、一昨年の秋に膝を故障。立て続けに頚椎や椎間板ヘルニアになり、スーパーポジティブな三世ですら一瞬「引退」の二文字が頭をかすめた。けれど今が辛いだけで、今年を乗り越えたらまた最高になるに決まっていると言い聞かせ、ストレッチや整体、筋トレなどあらゆることを試した。頚椎や椎間板が完全に治ることはないが、今はそれがきっかけで毎朝のストレッチの習慣もつき、うまく身体と付き合うコツをつかんでいっている。それまで生涯現役でいたいと考えたことはなかったが、怪我をきっかけに一生滑り続けたい、と思うようになった。「去年ほとんど滑れなかった分、今年は思いきり滑りたい。今スケボーしに楽しいわ。」
スケートショップのスケートボード
スケートショップで働きながら、週末は仲間たちとスケートムービー撮影三昧の日々。今出し切れている力は8割だけど、この撮影が終わるころには10割に戻れると信じている。
スケートカルチャーはスケートで滑ることだけでなく、ファッション、音楽、ライフスタイルのすべてがリンクしている。毎日を最高に気持ちいい状態で過ごしたいからと、三世は全てのことにこだわりぬく。ファッションも自分が憧れてきたスケーターたちのいいとこどりをしながら自分の見せ方で魅せていくという、オリジナリティにもの凄くこだわっている。
とりわけ、「他のスケーターに負けないと言えることってある?」と聞いたら「ヒゲ(ただし外国人は毛量が違うので除く)。」と即答するほど、ヒゲに対するこだわりは凄まじい(笑)。

毎朝洗顔をした後にリンスインシャンプーで整えてから、マッサージしつつブラッシング、毛先がはね上がるようにしっかりブロー。育毛剤は邪道だから使わないのだそう。いつか世界ヒゲ選手権の日本代表として出たい、と語っていた。
スケート
話をスケートに戻すが、ここ10年で沖縄にはスケートパークが凄い勢いで増えたらしく、今では全国トップレベルに多い。土地柄外国人が多いのも、地元のスケーターにはいい刺激となる。北谷町(ちゃたんちょう)など外国人の多い町を歩いていると、遊歩道をスケートで颯爽と駆け抜けていく外国のキッズたちがたくさんいて、まるでアメリカ西海岸のような雰囲気だ。外国人は身体能力の高い人が多いし、何よりもいい意味でネジが飛んでいる人が多いので、初めてのトリックに対しても躊躇することなく挑んでいく。
スケート
Ryuukyu.comで出会ったあっちゃんは40代で、18歳の娘がいる女性だ。そんな彼女が数ヶ月前に三世にスケートを教えてほしいと頼み、30代、40代の完全に初心者の女性たち、数人のクラスが始まった。毎週北谷町周辺で遊びながも真剣に学んでいる。最初は手を支えないとプッシュ(足で蹴りながらスケートボードで進むこと)もできなかった彼女たちが、クラス以外にも毎日ちょっとずつ練習するようになり、今では少しずつトリックができるようになった。若い世代に伝えるという事を実践している人は多いが、自分たちよりも上の世代にも教えながらカルチャーを広めていっていることが面白い。
スケートのレクチャー
「もうちょっと早くスケートを知っていればよかった」というあっちゃんに、三世は「それが貴女のタイミングだったんじゃないかな。それが今だったってことで。」と言う。何かを始めるのに遅すぎることなんてない。自分自身も年齢を言い訳に、新しいことへの挑戦に臆病になっていたと気付かされた。むしろキッズたちには、自分たちが教えるというより自分たちの背中を見て、そこから自分なりに学んでいってほしいという。東京では親の意思でスケートパークに来る子どもが多いけど、スケートはもともとやんちゃな若者のカルチャーだから、逆に親の目を盗んでやりにくるくらいの方がいいんじゃないかな、と。そしてその文化がまだ沖縄には残っているのがいいところだ。
あっちゃんはこの間プッシュしながら星空を見て、「ああ、なんて気持ちよくて幸せなんだろう。涙が出た。」と言っていた。沖縄には本当に美しい自然が身近にあるのに、沖縄の人にとってそれは当たり前すぎて気づいていないのが勿体無いと。車で移動するのではなく、風を感じながらスケートをしていると、それを体の芯から実感するのだ。
そんな話を聞いていたら、今まで運動音痴を理由に身体を動かすことを避けていた自分がひどく勿体ないような気分になってきた。万年文化部だった私だけど、今年の春はなにか新しいスポーツにでも挑戦して、新しい扉を開いてみようかな…。

沖縄CLIP編集部

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