「私たち」と「私」。沖縄らしさと自分らしさの葛藤から生み出される木器の世界〈田里木器(糸満市)〉

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歴史文化

初回投稿日:2018.04.25
 最終更新日:2024.03.27

「私たち」と「私」。沖縄らしさと自分らしさの葛藤から生み出される木器の世界〈田里木器(糸満市)〉

挽物

「挽物師のことをアメリカではウッドターナーっていうんですよ。仕事の所作がすごくかっこいいんです。動きそのものが表現行為というか…」。沖縄本島南部の糸満市(いとまんし)にある工房を訪ねると田里友一郎(たさと・ゆういちろう)さんはそう語った。挽物とは、ろくろや旋盤で木材を回転させ、鑿(のみ)やバイトと呼ばれる刃物を使って、お椀や皿などの円形の器やテーブルの脚など円注状の部材をつくる技術や、できあがった作品や製品のことだ。


樟(くすのき)

「ぜひ見てほしいです」。工房の外に向かった田里さんについていくと、皮がついた樟(くすのき)が大きな丸太のまま置かれていた。建材や家具材としてポピュラーな杉やヒノキ、パイン、ウォールナット、オークなどと違って、沖縄産の木はなかなか手に入らないという。特にガジュマルやデイゴ、楠などの1本まるまるの生木を手に入れるのはかなり難しいそうだ。「大きな木を切るっていう話を聞いたら、すぐに連絡を取って伐採する日にもらいに行くんです」。そうやって友人や知人のつてを頼って得た木をチェーンソーを使って切り分け始めた。


樟(くすのき)

樟(くすのき)

まずは作りたいものに合わせて塊で切り取る作業から始まる。瘤のある部分からは素直でないところが個性の味わい深い材がとれ、シュッとまっすぐな部分からは、木目が整ったきれいで律儀な材が取れるらしい。


塊で切り取る作業

塊で切り取る作業

塊で切り取る作業

「同じチェーンソーを使っても、樹種によって硬い柔らかいとか、粘りの強弱によって、スムーズに切断できるか変わってくるんです」。そう言って、切り終わった木の塊を今度はスライスして工房に運ぶ田里さん。次は円形に切り出すための木取りの工程だ。ペンで丸く印をつけて、バンドソーという機械で手早く作業する。


木取りの工程

木取りの工程

木取りの工程

そして、いよいよ挽きの工程。「正確に中心をとるのがポイントなんです」と田里さん。偏りがないようにろくろに固定する。勢いよく回転し始めた材に体ごと向き合うと、バイトを器用に扱って削っていく。飛び散る木屑がや木粉が美しくもある。「材によって感触が違うんです。刃物の研ぎ具合がバッチリだと、とろろ昆布のようなふわっとした木屑が出るんですよ」。平面だった木がシュルシュルと削られて、曲線を帯びていく様子を見ているだけでも気持ちがいい。


木取りの工程

木取りの工程

「気をつけているのは真横から見たときの輪郭です。より美しくなるように曲線やくびれを整えていきます。それからお皿とかお椀とか器の内側のくぼみの曲線も重要ですね。どんな曲線を描いているかで印象が違ってくるんです。一度、パラボラアンテナの図面を元に器を作ったことがあるんです。パラボラアンテナって電波を拾うためのものだから、効率的に信号を拾えるようにデザインされてるんです。器の美しさに影響するのは光と影なんですがパラボラのデザインだと光が複雑に交錯して深みのある味わい深い光と陰影のコントラストが出てくるんです」。


木器

木器

木器

作品を作るときのインスピレーションは自然の世界から得ることが多いという田里さん。たとえば、酸性の湖の色のグラデーションだったり、アメリカの国立公園の風景が生みだす質感だったり、昆虫の造形美や動物のディテールだったり。そういう田里さんは子どもの頃から絵を描くことが好きで、美術科のある高校に進学した。そこで色々な美術を学んだが、特に興味を持ったのは彫刻だった。

「美術の先生に金城満さんというユニークな方がいまして、1996年の慰霊の日(沖縄戦の犠牲者の霊を慰める日/6月23日)の前に『石の声』というアートプロジェクトを高校の美術科の取り組みとして始めたんです。小石に1から236095までの番号をプロジェクト参加者が書き込んで、それを積み上げていくというものでした。236095という数字はその当時確認されていた沖縄戦の犠牲者の数だったんです。暑い中、汗を流しながら、黙々と書いては積み上げていく行為そのものに芸術性がありました。身体を動かしながら立体物やインスタレーションを作っていく魅力は、この時に感じたんですよ」。


木工の材料

その後、建築を学ぶために進学した大学で、家具や建具の制作実習があった。その時に、再び身体を使ってものを作り上げていくことの面白さを感じたという。卒業してからは大学の木工室のスタッフとして勤務した後、沖縄にUターン。沖縄県工芸技術支援センターで漆芸の研修を受け、首里城修復の事業に関わったり、工芸振興センターに勤務したりした後、2016年に田里木器を立ち上げた。


木器

「首里城は巨大な琉球漆器なんです。漆芸家が10年20年という単位で使う漆を1日で使うときもあったんですよ。漆芸の世界では知られた諸見さんを中心に、試行錯誤して首里城の朱色を復元して、塗り直していったんですが、この時に現場で色々なことを学びました。自分自身は誰かに弟子入りしたことがないんですよ。親方がいる人がずっと羨ましいんですが、高校や工芸振興センターや修復プロジェクトで出会った方が、自分にとっての師匠だと思ってます」。工房に弟子入りしなかったことで、自分の世界を自分で追求しなくてはならず、楽しさの反面、苦しさもあるという。


木器

「伝統はその時代時代のトレンドの積み重ねだと思うんです。伝統だと言われているものを今の自分たちがそのまま受け継げばいいのか、というと必ずしもそうではないのかと…。先輩たちから技術を受け継いで、沖縄らしい美しさや使いやすさを継承することはもちろん大切ですが、工芸は産業でもありますよね。作ったものをお金に代えるために、考えるべきこと、やるべきことがたくさんある。だから、時々苦しくなるんです。

自分が生まれた地元に対しては愛着もあるし、しまんちゅ(沖縄に生まれ育った人)として歴史や文化を受け継いでいきたいという気持ちもある。そういう思いで木工をやっていくうちに、漆がどんどん自分にとってのコアになっていったんです。でも、自分で工房を立ち上げて仕事を続けていくうちに、沖縄の伝統とか、沖縄の県産材とか、そういうものが少しずつ縛りのような感じになってきて…。自分の中にある個の世界をしばらくは追求したいという気持ちも芽生えてきたり、正直なところ、今揺れ動いています」。


木器

そういう葛藤の中から生まれてきたのが、伝統から離れたところで巻き起こってくる「自分の世界」の追求だったという。たとえば、エアブラシを使って漆をスプレーして、微妙なグラデーションで深みを表現したり、革製品が経年変化で絶妙な風合いになっていくように、紫外線の効果で色合いが変化していく器にチャレンジしたり、4色の漆を透漆(すきうるし)でコーティングしてみたり、顔料の特性を上手に活かして変化を生みだしたり。好きな世界を表現できる手法を、自分なりに考えているのが現在の田里さんなのだ。 そんなふうに、沖縄らしさと自分らしさの狭間で揺れ動いている姿が、今の沖縄を象徴しているようにも見える。

今後は、生活雑器と並行して、作家性の高い作品や彫刻にも取り組んでいきたいという田里さん。彼がつくりだす木工の世界がどのような広がりを生み、それが新しい伝統にどうつながるのか、興味が尽きない。
 

田里木器

住所 /
沖縄県糸満市米須147
サイト /
https://www.tasatomokki.com

沖縄CLIP編集部

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