本部町に特産品を。並里家が歩んだアセローラとの60年。

本部町に特産品を。並里家が歩んだアセローラとの60年。

Reading Material

歴史文化

初回投稿日:2024.11.07
 最終更新日:2024.11.07

最終更新日:2024.11.07

本部町に特産品を。並里家が歩んだアセローラとの60年。 クリップする

沖縄本島北部、本部町(もとぶちょう)では5月ごろからアセロラの木が真っ赤な実をつける。アセロラは、レモンの約34倍のビタミンCを含有するスーパーフルーツで、60年以上前に初めて沖縄にやってきた。いまや本部町の特産品とも言えるアセロラの生産、加工、販売を手がけるのは「アセローラ フレッシュ」。直営店であるパーラーでいただく爽やかな酸味のドリンクは夏場にぴったり。沖縄のアセロラの歩みは、同様に並里家の物語でもある。

琉球歴文化体験モニタープログラム

ハワイからやってきたアセローラ

アセローラフレッシュ アセロラの木

 1958年、創業者である並里康文さんが生まれた年に、沖縄の産業に育てようとマンゴーやパパイヤなど6つの熱帯果樹が指定された。そのうちのひとつが、コロンとした真っ赤な果実が印象的な「アセロラ」だった。
 
ハワイから苗木を持ってきたものの、これまでに栽培のノウハウもなく、ようやく実をつけたとしても3日ほどでダメになってしまうという足の早さから、アセロラは沖縄に定着しなかった。それから手付かずのまま放って置かれて20年後、大学生になった康文さんは「農業概論」という授業でアセロラに出会う。地元・本部町にあたらしい産業が必要だと感じていた康文さんは、アメリカで「ビタミンC」ブームが来ていたこともあってアセロラに着目。大学で出会い、のちにパートナーとなるブラジル出身の哲子さんに英語の文献を翻訳してもらいながら研究をかさねた。本部町に持ち帰る決心をし、農家に協力を仰ぎながらアセロラの生産に取り組んだのだ。
 
それからいく年も経って、沖縄本島北部、やんばるに位置する本部町はいま、県に指定されたアセロラの拠点産地だ。現在は1万坪以上の土地にあるおよそ3,000本ほどのアセロラの木が実をつける。沖縄の、いや、日本のアセロラの歴史は、並里家の歴史でもあるのだ。

アセローラフレッシュ アセロラ畑
 

真っ赤な色は、丁寧さの証

収穫は毎年5月〜10月ごろ。日々剪定してすべての実に日が当たりやすいドーナツ状の樹形をキープ。花が咲いたらホルモン処理をし、沖縄の太陽をたっぷり浴びたアセロラをひとつひとつ手摘みで収穫。雑草がのびれば草刈りをして、月に1度程度のペースで収穫を繰り返す。収穫のタイミングや、保存方法などにも細やかに気を配る。そういったひとつひとつ丁寧な作業の積みかせねの先に、着色料を一切使わずに真っ赤な実がなる。

アセローラフレッシュ アセロラの実

ビタミンCとポリフェノールが豊富で栄養価が高く、アセロラはいわゆるスーパーフード。本部町にあるパーラー「アセローラフレッシュ」では、2015年の「ニッポン全国ご当地おやつランキング」で1位に輝いた「アセローラフローズン」 をはじめとした、さまざまなアセロラを活かしたメニューがいただける。特に暑い季節にはぴったりの酸味と栄養価の高さで、一杯いただけば活力が満ちてくること間違いない。

アセローラを沖縄県の産業に

それでも、現在代表を務める創業者の康文さんと、現会長・哲子さんの次男・康次郎さんは、まだまだこれからです、と先を見据える。
 
アセローラフレッシュ 並里さん

「アセロラが本部町だけじゃなくて、県内に産業として根付くようにしてきたい。自分たちはそれを背負っているという自覚、自負があります」
 
2019年に代表を引き継いだ康次郎さんがまず目指したのは「家業を企業に」をしっかりと具現化していくこと。組織のあり方、社員の給与や待遇をしっかりと改善していく。コロナ禍のあいだに何度も会長の哲子さんや、一緒に働く弟の康明さんと膝をつけて話し合い、創業者の思いやアセローラフレッシュのあるべき姿を再確認した。だからこそいまでは「思いをしっかり共有できているので、感情で衝突するようなことがないんです」と、その表情に組織として一体感を持って活動できていることに充実感を見せていた

課題も山積しているけれど

少しずつ認知を広げ、順調そうに見えるアセロラの生産。しかし、農家の担い手不足で、本部町の収穫量は減ってしまっている。だからこそしっかり足元から未来を見据えたいと康次郎さんは言う。まずは生産量をピークだった2008年の水準に戻せるように。すでにはじまっている糸満市や石垣島でのアセロラ生産の取り組みに対しても、本部町が成功のロールモデルを作ることができたら、広げていくことかできる。
 
アセローラフレッシュ アセローラフローズン
 
「売り上げが何十億、何百億という大きな会社になりたいというわけではないんです。地域に根ざして、地域になくてはならない存在になりたい。地元の子ども達がいつか大きくなって、アセローラフレッシュで働きたい、とか、社長になりたい! と思える会社になれたらいいな」。
 
アセローラジュースやアセローラフレッシュの味わいを求めて、夏場のシーズンを中心に直営のパーラーには多くの観光客がやって来る。他県からアセローラフレッシュに就職しようと沖縄に移住してきてくれる人も。アセロラの認知度だけでなく、アセローラフレッシュも組織として少しずつ着実に、成長を続けている。

アセローラフレッシュ アセローラフレッシュ店舗前

アセローラフレッシュ 店舗での様子

アセローラフレッシュ 果実入ドリンクなどの商品達

アセローラフレッシュ あせろーらTシャツ

花言葉は愛の芽生え

アセローラフレッシュ アセロラ畑での様子

本部町は沖縄では珍しく昼夜の寒暖差があり、露地栽培で沖縄の太陽をたっぷり浴びる。康文さんと哲子さんの努力によってこの地に根付いたアセロラは、花言葉は「愛の芽生え」なのだそう。その思いは康次郎さんはじめ家族、そしてアセローラフレッシュのスタッフにもしっかりと受け継がれていて、これからさらにアセロラを本部町の産業として成長させていくことだろう。爽やかな酸味のなかに、ほのかに感じる甘さがやさしい。並里家とアセローラフレッシュが紡いできた物語と一緒に、ぜひ味わってみてほしい。

アセローラフレッシュ アセローラフレッシュのスタッフさん
 

セソコマサユキ

同じカテゴリーの記事

琉球歴文化体験モニタープログラム