琉球舞踊家 髙里風花さんの新たなるチャレンジ
琉球舞踊家 髙里風花さんの新たなるチャレンジ
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歴史文化
初回投稿日:2024.11.26
最終更新日:2024.11.25
最終更新日:2024.11.25
3才から琉球舞踊の世界へ
写真:新垣欣悟
琉球王朝時代から受け継がれる沖縄の伝統芸能「琉球舞踊」を幼少期から習い、現在は沖縄県内外のみならず国外でも活躍する琉球舞踊家 髙里風花(たかざと ふうか)さんは、琉球舞踊の可能性と次世代への継承を思い、様々なことに挑戦し続けています。
沖縄本島北部の宜野座村(ぎのざそん)出身の髙里風花さんが琉球舞踊を習い始めたのは3才の時。宜野座村に支部がある宮城流豊舞会(とよむかい)に入門し、宮城豊子に師事。
「『沖縄にいる頃は当たり前にあった沖縄芸能の魅力に、県外に出てみて初めて気が付いた』という母親の影響でした。もし将来娘が生まれたら、その子に踊りをさせたいとずっと思っていたそうで・・・ 生まれたのが私です(笑)」と風花さん。
宜野座村“幻の組踊”の復元に挑戦
高校卒業後は沖縄県立芸術大学へ進学。琉球芸能専攻に進み、大学卒業後進学した同大学院では、歌と三線、箏(こと)、笛、胡弓(こきゅう)、太鼓からなる音楽とセリフ、古典舞踊をベースとした所作からなる“沖縄版オペラ”と例えられることもある組踊(くみおどり)を専修。卒業制作では、生まれ育った宜野座村で“幻の組踊”と呼ばれる「黄金(くがに)の羽釜(はがま)・里川の子」について研究し、発表しました。
この作品は台本の大部分が欠落し、表紙も消失していたため題名すらも分からない状態で「宜野座県立博物館」に保存されていましたが、風花さんは在学中の2年間で数少ない資料を参考にしながら欠落した部分を補い、上演できる形に。2021年2月、大学院の修士演奏で発表し、2024年2月に宜野座村松田区の公民館で再演しました。
写真:仲間勇太
写真:仲間勇太
「台本は後半の数ページしか残っていなかったので想定ではあるのですが、脚本を書いて、琉球語にして“想定復元”させていただきました。
この作品を復元させるにあたって松田区の芸能保存会の皆さまや地域の方たちにとても助けていただいたので、この作品を故郷に帰すという意味でも公民館で再演させてもらえて嬉しかったです」
組踊「黄金の羽釜・里川の子」は、食べるのにも困るほどの貧しい4人家族の物語。母を生かすために断腸の思いで子どもを手放すことを決め、子を埋めるための穴を掘っているところに黄金の羽釜が現れ、子を殺さずにすんだばかりか裕福になったという筋書き。
「私はこの作品を“自分で完成させた”とは思っていなくて、あるものを触らせていただいて、たくさんの方のお力をお借りして“みんなで作り上げた”という方がイメージに近いかもしれません。私が脚本を書いたらこうなったんですけど、別の方が書いたらきっとまた違ったストーリーになると思います。いろんな方に興味を持っていただいて、この作品が世に出てほしいという思いが強いです」
この作品は台本の大部分が欠落し、表紙も消失していたため題名すらも分からない状態で「宜野座県立博物館」に保存されていましたが、風花さんは在学中の2年間で数少ない資料を参考にしながら欠落した部分を補い、上演できる形に。2021年2月、大学院の修士演奏で発表し、2024年2月に宜野座村松田区の公民館で再演しました。
写真:仲間勇太
写真:仲間勇太
「台本は後半の数ページしか残っていなかったので想定ではあるのですが、脚本を書いて、琉球語にして“想定復元”させていただきました。
この作品を復元させるにあたって松田区の芸能保存会の皆さまや地域の方たちにとても助けていただいたので、この作品を故郷に帰すという意味でも公民館で再演させてもらえて嬉しかったです」
組踊「黄金の羽釜・里川の子」は、食べるのにも困るほどの貧しい4人家族の物語。母を生かすために断腸の思いで子どもを手放すことを決め、子を埋めるための穴を掘っているところに黄金の羽釜が現れ、子を殺さずにすんだばかりか裕福になったという筋書き。
「私はこの作品を“自分で完成させた”とは思っていなくて、あるものを触らせていただいて、たくさんの方のお力をお借りして“みんなで作り上げた”という方がイメージに近いかもしれません。私が脚本を書いたらこうなったんですけど、別の方が書いたらきっとまた違ったストーリーになると思います。いろんな方に興味を持っていただいて、この作品が世に出てほしいという思いが強いです」
あるのは片道の航空券だけ。無計画のまま海外へ
2024年6月には何のツテもないまま、自分の直感だけを信じてイギリス、アイルランド、オーストリア、ハンガリー、スペイン、ポルトガル、イタリアへ。「ほとんどノープランでした。出発の前日まで、行きの航空券しかなくて、宿も帰りのチケットもない状態でしたが『行けばどうにかなるだろう』と思っていました」と風花さん。もともと海外には興味があったそうですが、1月にワシントンD.C.で行われた琉球芸能公演「青い海の人魚/脚本・演出 富田めぐみ」に出演したことがきっかけとなって、まだ訪れたことのなかったヨーロッパ行きを決意。
「公演で海外へ行く時は劇場とホテルの往復以外、外出をする余裕があまりありません。でも、せっかく行くなら、その土地に住む人たちの暮らしを知りたいと思いました。芸術や芸能にも触れたかったので、一ヶ月ぐらいかけてまわるつもりでお仕事のスケジュールを調整して、キャリーケースひとつだけ持って、5週間かけて7ヶ国9都市をまわりました」
「これまではずっといただいたお仕事をさせてもらってきたのですが、最近、このままではいつか自分の表現に限界が来るだろうと感じ始めていました。このヨーロッパ旅では『琉球芸能を海外に広めたい』という志はなくて、いろんなものを見て、感じて、今後の人生の引き出しを増やしたかったんです。旅中、踊ることは考えていなかったんですけど、私の根本はやっぱり琉球舞踊なんですね・・・ 『どこかで踊りたい』という気持ちが湧いてきてしまって、現地の“ロンドン沖縄三線会”に直接連絡をして、ロンドンではヨーロッパ最大級の沖縄祭り「沖縄デー」で琉球舞踊を披露しました」
イギリス滞在中はマンチェスターでミュージカルのアラジンを、ロンドンではライオンキングとマンマミーアを鑑賞。沖縄では見ることができない大がかりな舞台装置に感動したそうです。
ハンガリーでは、現地の音楽院に在籍する大学時代の友人と、急遽日本食レストランを貸し切って自主公演を開催。
オーストリアのウィーンではアポなしで大使館に出向き、アイルランドでは路上パフォーマンスにも挑戦しました。
それ以外の時間は現地の美術館や博物館をまわり、芸術や文化に触れて感性を磨きました。
TAꓘANさんとコラボレーション舞台
そんな風花さんは「事前知識がなくても琉球舞踊に没入してほしい。琉球舞踊に対する“敷居が高い”というイメージを払拭したい」と、脚本・演出・舞台・映像制作など、沖縄から世界にエンターテイメントを届けるTAꓘAN(多感)さんと新しい試みに挑みます。
花街で暮らす女性“ジュリ”を題材にしたTAꓘANさん演出の舞台で着付けを担当した風花さんは、ジュリを“遊女”としてではなく、女性たちに対して尊敬の気持ちを持って表現していたその脚本に強く感銘を受け、その思いをTAꓘANさんに伝え、琉球舞踊と現代演劇、琉球料理が楽しめる企画が誕生しました。
物語をただ解説するのではなく演劇的に落とし込み、舞台と客席を一体にすることで、ジュリとアンマー(抱親)の日常を覗き見しているかのような世界観を演出。ジュリとアンマーが座敷で談笑するシーンが終わると、目の前のステージで琉球舞踊がスタートします。「あたかもその物語に自分も入り込んだかのような不思議な体験ができる作品に仕上げました」とTAꓘANさん。
「私は演劇の皆さんから“内面を見つめる”ことを学んでいます。前までは、振りを完璧に覚えるとか、どうすれば美しく見えるかとか、外向きのことを考えていたのですが、最近は“この所作にどういう意味があるのか”や“この踊りを踊っている人がどういう気持ちなのか”“この一言を発するまでにどういう心情の動きがあったのか”というような内の部分を探求することを意識しています」
琉球舞踊の本質を変えることなく、視点を変えることで間口を広くし、初心者でも没入体験ができるように・・・。5週間にわたるヨーロッパ滞在でさらに度胸と感性が磨かれたに違いありません。これからも“未知”に飛び込み、触れて、挑戦を楽しんでいってほしい・・・。きっと彼女のような人材が琉球芸能の魅力を国内外へ、そして未来へと繋いでいくのだと思います。
画像提供:髙里風花
花街で暮らす女性“ジュリ”を題材にしたTAꓘANさん演出の舞台で着付けを担当した風花さんは、ジュリを“遊女”としてではなく、女性たちに対して尊敬の気持ちを持って表現していたその脚本に強く感銘を受け、その思いをTAꓘANさんに伝え、琉球舞踊と現代演劇、琉球料理が楽しめる企画が誕生しました。
物語をただ解説するのではなく演劇的に落とし込み、舞台と客席を一体にすることで、ジュリとアンマー(抱親)の日常を覗き見しているかのような世界観を演出。ジュリとアンマーが座敷で談笑するシーンが終わると、目の前のステージで琉球舞踊がスタートします。「あたかもその物語に自分も入り込んだかのような不思議な体験ができる作品に仕上げました」とTAꓘANさん。
「私は演劇の皆さんから“内面を見つめる”ことを学んでいます。前までは、振りを完璧に覚えるとか、どうすれば美しく見えるかとか、外向きのことを考えていたのですが、最近は“この所作にどういう意味があるのか”や“この踊りを踊っている人がどういう気持ちなのか”“この一言を発するまでにどういう心情の動きがあったのか”というような内の部分を探求することを意識しています」
琉球舞踊の本質を変えることなく、視点を変えることで間口を広くし、初心者でも没入体験ができるように・・・。5週間にわたるヨーロッパ滞在でさらに度胸と感性が磨かれたに違いありません。これからも“未知”に飛び込み、触れて、挑戦を楽しんでいってほしい・・・。きっと彼女のような人材が琉球芸能の魅力を国内外へ、そして未来へと繋いでいくのだと思います。
画像提供:髙里風花
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