沖縄の湧き水とターンムの里 「大山ターブックヮ」
沖縄の湧き水とターンムの里 「大山ターブックヮ」
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歴史文化
放送日:2024.11.04 ~2024.11.08
初回投稿日:2024.11.12
最終更新日:2024.11.12
最終更新日:2024.11.12
目次
大山のシンボル ターンムとは
国道58号線沿いから見下ろせる広大な大山ターブックヮ
宜野湾市大山には、本島中部に残る唯一の水田、大山ターブックヮが広がっています。
かつては一面に、沖縄の特産品にも指定されているターンム(田芋)が植えられていました。
ターンムは親芋の周りに子芋や孫芋が育つことから、子孫繁栄の縁起の良い食材とされ、お祝いの料理には欠かせません。
子孫繁栄の象徴でもある縁起のいいターンム。芋のほか、茎のムジも食用となります
大山とターンムの歩み
大山のターブックヮでは、戦前は米作が中心で、ターンムは田んぼの一角を利用して育てていました。交通手段のなかった当時、傷みやすいターンムを那覇まで出荷することができず、各家庭で食べるものだけを作っていました。
地形的に湧き水が良質だった大山のターンムはおいしく、交通が整った戦後は、那覇の市場でも評判となり、昭和40年ごろを境に、稲作からターンムに転向する農家が増えました。
同時期に、カリフォルニアから輸入された安価な加州米(かしゅうまい)が流通したのも、転機だったそうです。
地形的に湧き水が良質だった大山のターンムはおいしく、交通が整った戦後は、那覇の市場でも評判となり、昭和40年ごろを境に、稲作からターンムに転向する農家が増えました。
同時期に、カリフォルニアから輸入された安価な加州米(かしゅうまい)が流通したのも、転機だったそうです。
湧き水が豊かな 大山の地形
大山では、地区ごとに湧き水があります
水を通しやすい琉球石灰岩に染み込んだ雨水は、水を通さない粘土質の上を通り、湧き水となって大山の崖下へ流れます。カー(泉や井戸)から湧き出た水は、階段上に連なる田から田へと伝わり、旧堤防沿いの一番低いターブックヮまで、小さな水路を流れていきます。
大山には今でも9カ所の大きなカーが現存しています。
水量が多いアラナキガー。戦前は那覇までパイプで水を運んでいました。かつては大山区民の生活用水でしたが、現在は農業用水として利用されています
メンダカリヒーガーは、ウブガー(産川)として拝まれ、お産の時にはこの水を汲んで産湯を沸かしました。お正月の若水を汲むカーでもありました。ここは生活用水として使われ、他のカーは農地用の水として利用されていました
ヒャーカーガー。戦後、米軍基地からのガソリンが地下水系に流れ込み、湧き水周辺の水田を汚染したことから、別名ガソリンガーとも呼ばれていました。現在は農業用水として利用されています
先祖代々の畑を守る6代目
大山のターブックヮでターンムを作る宮城徳彦さんは、先祖代々の畑を守る6代目の農家さん。
「ターンムが高値で売れた時代はターンムバブルでしたよ。日頃は仕事を持つ兼業農家にとってターンムはボーナス。植え付け時期をずらせば、年中出荷できるので、みんな、最も高値で取引される盆と正月に合わせて出荷していましたね。
もう後継者がいないから、私の代で終わりかもしれないけど、おいしい、おいしいと言ってくれるお客さんがいる限り、一生懸命ターンムを作り続けますよ」
いくつかの棚田で時期をずらして植え付けを行うので、年中収穫することができます
硬質の湧き水は、水温が年中20度で安定していることも、良質なターンムを栽培できる理由です。現在、この地区の水源を使用しているのは宮城さんのみです
歴史との関わりが深い ターブックヮ
ターブックヮの一角には、琉球王朝時代、首里から牧港、宜野湾、北谷、読谷、恩納村、名護へと続く道、西宿(イリジュク)が残っています。宜野湾では起伏の多い内陸部ではなく、平坦なターブックヮの国頭畦道(クンジャンアブシ)を通ったとされています。
また大山小学校の裏手、ターブックヮのすぐそばには、1914年から1945年まで運行していた沖縄県営鉄道(通称軽便鉄道)の大山駅跡があります。大山駅は、普天満宮の参詣客を運ぶ客馬車や、嘉手納町の製糖工場へサトウキビを運ぶ貨物で賑わいました。
旧県道(現在の国道58号線)ができる以前は、国頭畦道が首里と国頭を結ぶ幹線道路でした
また大山小学校の裏手、ターブックヮのすぐそばには、1914年から1945年まで運行していた沖縄県営鉄道(通称軽便鉄道)の大山駅跡があります。大山駅は、普天満宮の参詣客を運ぶ客馬車や、嘉手納町の製糖工場へサトウキビを運ぶ貨物で賑わいました。
旧県道(現在の国道58号線)ができる以前は、国頭畦道が首里と国頭を結ぶ幹線道路でした
私たちのふるさと 大山ターブックヮとは
田んぼやカーは生き物を学べる最高の場所でした
大山区自治会自治会長の末吉孝行さんは、大山生まれ、大山育ち。
現在は自治体を通して、大山の自然や伝統文化を子どもたちに伝える活動を行っています。
「昔は伊佐から真志喜の間、田んぼの畦道は最高の遊び場でした。
フナ、ヌマエビ、バン、ヨシゴイ、カニ、シジミなどさまざまな生き物が生息していましたね。今でも娘と一緒に散歩中、トンボやタナゲー(テナガエビ)、グッピーやウナギ、スッポンなどを見つけることがありますよ。
畑に向かって歩いて行くと、ふっと風が変わる瞬間があるんです。
家族みんなでそこを散歩するのがとても幸せな時間です」
風が変わる気持ちの良い散歩道。夕暮れの日課
土があるから種が蒔けて、命をいただける。ターブックヮは本当に尊い存在だと思います
ターブックヮは地域の人々が家庭菜園を楽しむ場所でもあります。
祖母と父の畑を受け継ぐ安次嶺和美さんは、ターブックヮ一面を望む高台で生まれ育ちました。大山中に広がる、ターンムを炊いた匂いが昔の思い出だと話します。
「上等ターンムは炊くと割れるんですよ。むちむちぐゎーしておいしいんです」と和美さん
大山ターブックヮに隣接する宜野湾市立大山小学校で昭和41年に開始した制服は、当時からデザイン変わらずターンムをモチーフにした緑色の制服を採用していて、校章には稲穂が使われています。校歌には、「田の面に青い」と、田んぼが広がる様子がうたわれています
「本職はバスケットのコーチ、ターンムはちょこっとね」と石川さん
三世代に渡る大山のターンム農家の石川繁さんは69歳。
大山小学校のミニバスケコーチを務めています。また、自身の畑を開放して、大山小学校の子どもたちにターンムの植え付け体験も行っています。
大山を見守り続ける大山ターブックヮは、地域の誇りであり、いつまでも残したい沖縄の風景です
大山ターブックヮ
- 住所 /
- 宜野湾市大山
TVアーカイブ配信中
放送日:2024.11.04 ~ 2024.11.08
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放送日:2024.11.04
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