技術と伝統、向き合う心を 繋いでいく「吉田サバニ造船」(石垣島)

技術と伝統、向き合う心を 繋いでいく「吉田サバニ造船」(石垣島)

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初回投稿日:2024.07.25
 最終更新日:2024.09.06

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石垣島の海に浮かぶ木造帆船

木造帆船

コポッコポコポッ。

水面と船底が当たる音が聞こえ、体の底からはしっかりとした浮力を感じる。ダガーをつけたサバニの安定感は想像以上で、乗船前に抱いていた不安はあっという間にどこかへいってしまった。

海は凪いでいる。時折吹くささやかな風を、背後にいる吉田友厚さんは的確にロープを操り帆で捕まえる。すると船は、海面を滑るようにして風と同じ方向へと進んでいく。

サバニ

「サバニ」に乗っている時の吉田さんは静かだ。何かを質問すればもちろん答えてくれるのだけれど、必要以上に自分から話しかけるようなことがない。海のゆらめきを、風の音を、そしてゆったりとした時の流れを、感じて欲しいから。

吉田さんは八重山諸島(やえやましょとう)の玄関口、石垣島(いしがきじま)の北部にあるちいさな集落「久宇良(くうら)」で、「吉田サバニ造船」を営んでいる。サバニのつくり手てあると同時に、それを海に浮かべサバニツアーを行なっている。

「ツアーではちいさなビーチなどに立ち寄ります。でも、風の向きで行ける場所が変わるから、そのときどこに行けるか、と言うのは文字通り自然任せなんです」

吉田サバニ造船
 

田舎暮らしを求めて石垣島へ移住

吉田さん

帽子をかぶってTシャツに短パン。しっかりと焼けた肌に屈託のない笑顔を見せてくれる吉田さん。その風貌はすでに島のひとそのものだけど、実は生まれも育ちも東京都。もともと木工や“木でできた道具”に興味があって、店舗什器のデザインをする会社に就職したり、アンティークショップでリペアを担当したり、ときには自分でテーブルをつくっては販売することもあったそう。ところがいつからか、長男に喘息が出るようになったり、いくつかのトラブルに見舞われたりと東京での暮らしが息苦しく感じるようになる。そんなときに友人が石垣島でレストランをオープンするので、調理の仕事を手伝わないかとの誘いを受けたのだ。

石垣島

実は石垣島は、吉田さんが奥さんと18歳くらいの頃に1ヶ月ほどキャンプをしながら旅をしたことがあった場所。特に何もせず過ごし、自然が豊かで、のんびりとした時間の流れが気に入っていた。

そんなこともあって、二つ返事で誘いを受けた吉田さんは石垣島への移住を決意。島での家探しももちろん市街地ではなく田舎を中心に見てまわった。車で島中を巡っているときにとあるビーチで車がスタックしてしまい、たまたま通りかかったおじさんに牽引して助けてもらった。そのとき、おじさんに事情を話すと物件を紹介してくれて、それが「久宇良」集落にある建物だった。

船大工・新城康弘さんに弟子入り

吉田さん

移住したばかりのころ、本屋さんに立ち寄って手に取り、買った本が「潮を開く舟サバニ」という、船大工の新城康弘さんの物語を紹介した本だった。こんな人がいるのか(しかも現役で!)と衝撃を受けつつも、もちろん、それは本の中の話。実際に会いにいくことはなかった。

島に移住した当初の調理の仕事も1〜2年ほどで終わり、それからは土木の仕事をしたり、山に入っては染色家になってみようとしたり、本当にさまざまな仕事をしてきたという吉田さん。そうこうしているうちに8年の時間が経ち、このままの生き方ではいけないな、と感じ始めていたころ、「新城さんが引退するらしい」と言う噂を耳にする。新城さんとはもちろん、本で読んでいた船大工の新城さんだ。いてもたってもいられなくなった吉田さんは、白保集落にある新城さんの工房を訪問。

行くとその日も新城さんは作業をしていた。でも、いくら声をかけれども返事をしてくれない。当時、新城さんは83歳。視界に入る場所まで近づいて手を振ってみると、補聴器をつけて向き合ってくれた。

「何しにきた」
「引退されるって聞いてきました」
「作りたいのか」
「はい」
「一艘分の材料があるから作ってみるか」
「はい」
「じゃあお前の都合の良い日に来なさい」

そうしてあっという間に弟子入りが決まり、吉田さんはサバニを作ることになった。

沖縄伝統の木造帆船

ところで、この「サバニ」とは、漁や輸送、はたまた日常の交通手段として沖縄の海で行き来していた木造帆船のことだ。吉田さんが作るのは「本ハギ」という技法を用いたもの。複数の木材をはぎ合わせてつくるのが「剥ぎ舟」で、鉄釘を使わず、木と木を継ぎ合わせるときにかすがいの役目の「フンドウ」と「竹釘」を使うのが「本ハギ」。この技法が考案されたのは、1800年代後半にまで遡ると言われる。
1950年ころまでは各地で活躍していたという木造帆船の「サバニ」も、エンジンや新しい素材の導入で次第に作られなくなっていき、いまではすっかり船大工の数も減ってしまった。

座間味島(ざまみじま)から那覇市の沖合までをコースとする「サバニ帆漕レース」など、一部人気のあるイベントや、乗船できるツアーもあるが、いまでは目にする機会自体が減ってしまっているのが現状だ。

サバニ
 

3つつくりなさい

新城さんの朝は早い。

朝、5時ころには作業をスタート。もともと耳が遠いこともあって、近所迷惑もお構いなく電気工具を使って作業をしていく。周囲の人々もすでにそれを日常として受け入れているような雰囲気がある。お昼頃には作業を終えて、午後は冷房の効いた家のなかで本でも読んで過ごす。夜は早めに寝て翌日に備える。
サバニが完成すると、知人などに送って売り、儲けが出れば材料を仕入れてまたつくり始める。そうやってこの20年と言うもの、新城さんはサバニを作り続けてきた。

1艘のサバニを作りながら、そばでその様子を見ていた吉田さんは、船大工という仕事に魅力を感じるようになる。自分のペースで仕事をしていること。だからこそ、自分自身に負荷がかかってないように見えること。また、高齢まで仕事ができるというのも魅力だ。「死ぬその日までできる仕事」がないだろうか、それはきっと手仕事なんじゃないか、そんなことを考えていたときだったから、吉田さんにとっては運命的な出会いになった。

船大工になりたい。そう話すと、新城さんは教えてくれた。

「古いものを見直す時代になってきたから、やりようによっては可能性がある。まず3つ作りなさい。そうすれば作る上で必要なことをひととおり経験できるから。それを踏まえ、4つ目から造船所を構えるなり、船大工を名乗るなりすれば良い」

新城さんのそばで1つ目を完成させたあと、2つ目は自宅で作ってみることに。一番難しい曲げる作業は新城さんを呼んで教えを乞い。3つ目は友人が材料代を出資してくれて、ひととおり作り終えてから新城さんに出来をチェックしてもらった。

「やりたいことはわかるけど、ちょっと強引だな。目を養いなさい。違和感があるところは大体寸法がおかしいから、ラインをよく見なさい」と、教えてくれた。

4つ目は本島の友人から注文が入り、さらに、サバニツアーを始めようとプロモーション活動をしていた先で竹富島や宮古島から注文を受け、造船所を立ち上げた。

以来、サバニツアーを催行しながら作り続け、現在は25艇目を製作中。久宇良の自宅脇に設けられた工房ではいくつかのサバニが完成の日を待っている。制作も詰まっていて、いまは注文してから納品まで、およそ1年待ちの状態だという。

サバニ

作りながら少しずつ試行錯誤を重ねているから、いままで作ったサバニでひとつとして同じものはないのだそう。

「だから当然、最新のサバニはすごく性能が良いんですよ。操縦がしやすくて、船速も良い」
 

囲うのではなく、広めていく

新城さんから細かい技術は、実は教わっていない。「考えたらわかるから、考えろ」そう言われてきた。
興味がある、というだけで、知り合いでもない自分に、サバニの作り方を教えてくれた。どうしたら良いサバニが作れるのか、考えて、突き詰めていく姿勢を教わった。

だからこそ吉田さんはそれをどうやったら次の世代に伝えられるか、ということを考えている。技術も楽しさも、向き合う姿勢も、自分だけのものにするのではなく、広めていく。

5月には「八重山フーカキサバニレース」を開催し、若い世代と同じ土俵に立ってレースに出場した。「あの人のサバニは早いな、と、若い人が感じてくれたらしめたもの。その人がつくり方を教えてくださいって来てくれたらもっとしめたもの。僕は長い歴史のなかでいえば、後世に繋げていく歯車の一部。いつか次の世代の人たちが、このサバニは、あのおじぃがつくり方を教えてくれたんだよって言ってくれたら、それで良いんです」

「だって」、と言って吉田さんは笑顔を見せ、話を続けた。

「100年後だって、考え方や向き合い方が残っていれば、世界が滅んでも、サバニに乗って魚をとりに行けるじゃないですか。そして、好きなこと、面白い遊びを仕事にしちゃってるそういう大人の姿も、子どもたちに見せていきたいですね」

きっと、100年後の沖縄の海にも、海の上を滑るようにして気持ちよさそうに動くサバニは浮いているだろう。それは、伝統を受け継ぎながら、つくり手ひとりひとりが試行錯誤して作り上げたサバニだ。新城さんから吉田さんにバトンが渡されたように、吉田さんから技術だけではない大切なものが、次の世代へと伝えられていくから。

吉田サバニ造船

セソコマサユキ

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