ある日の朝、粟国島で見つけた心地よい暮らし

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歴史文化

初回投稿日:2015.10.17
 最終更新日:2024.04.11

ある日の朝、粟国島で見つけた心地よい暮らし

畑でおばあちゃんが腰を曲げて野良仕事
 
早起きして島を自転車で散歩していたら、港の近くにある小さな畑でおばあちゃんが腰を曲げて野良仕事をしている場面に出くわした。
 
ヨガでお馴染みのダウンドッグ(下向きの犬)のポーズ。それよりもさらに深く、コンパスのように身体を折り曲げて地面に立っているおばあさんの姿は目にする機会がなかなかない。どちらかといえば人見知りするタイプだけど、話をしたくて自転車を押して近寄って行った。

黙々と鍬(くわ)を振るってい
 
黙々と鍬(くわ)を振るっているせいか、おばあちゃんはこちらになかなか気づいてくれない。ボリュームを38くらいまで上げて「おはようございます!」と声をかけると、おばあちゃんはようやく振り向いてくれた。
 
聞けば御歳92歳だという。
 
見た目は70代といってもお世辞にはならないはずのそのおばあちゃんは数年前にご主人を亡くしてからは、ずっと一人で畑仕事をしているという。
 
ここ粟国島(あぐにじま)はその名の通り、かつては五穀が実る豊穣の島だったらしい。大豆や押し麦、もちきびなど、いまならなレアな穀物を島の人はごくごく普通に作っていたのだそうだ。

長命草ほか
 
内地はもちろん沖縄本島でも珍しい伝統野菜が、沖縄の離島では野草のようにあちこちに生えている。たとえば今話題の長命草もその一つ。製塩工場のあるビーチの近くでは、白い花を咲かせて風にゆらゆら揺れていた。
 
石でできた水瓶
 
そうはいっても川のない小さな島だから、水の確保は今も切実だという。昔は水道も貯水池もないから家庭や畑に置かれた水瓶が頼り。古い民家の軒先に趣深く取り残されている石でできた水瓶が、当時の様子を今に伝えていた。

運搬車
 
島の畑にはたとえば写真の運搬車のように、時代を物語る古いものが取り残されている。小さな畑で一人畑仕事をしているおばあさんの姿も内地ではあまり目にする機会がない。
 
「こうやって今日は元気でいるけどね、明日はどうなってるかわからんさー」
 
冗談でもいうようにそんなことを話すおばあさんに、「そんな、とんでもない。写真を持ってまた島に戻ってくるからその時まで元気にしててくださいね」と言い残してお別れをした。

ンクリートの上の天然の塩田
 
畑を後にして港へ行くと、大きな防波堤の上が朝日を受けてキラキラ光っていた。見れば、どうやら塩のようだ。コンクリートの上の天然の塩田。さすが塩づくりの島、粟国だ。
 
打ち上げられた海水が太陽の光を受けて凝固してその上に海水がまた打ち上げられて…。同じ営みがなんどもなんども繰り返されてキラキラ光る塩の結晶になったのでしょう。
 
「昔はね、この辺りでは各家庭で塩を作ってたんだよね」。そういえばさっき、畑のおばあちゃんが言ってたっけ。

魔除けのためにスイジガイ
 
魔除けのためにスイジガイ
 
魔除けのためにスイジガイ
 
珊瑚
 
珊瑚
 
離島に限ってのことではないけれど、沖縄の海沿いの集落の軒先には魔除けのためにスイジガイという漢字の「水」の形をした貝がぶら下げられていたりする。家によっては珊瑚が代わりに置かれてたり。
 
粟国島などの離島は特に台風などの自然の力に翻弄されやすい。昔はいまよりもっともっと人の力は脆弱だった。だから、そういう時、島の人は祈るしかなかったのだろう。

鉄製の錆びた歯車
 
そんな風に島を歩いていると、生活で必要なすべてのものが自分たちの手で作られていた時代の痕跡とあちらこちらで出くわすことになる。鉄製の錆びた歯車もその一つ。畑で育てたサトウキビを牛に引かせて絞るための大切な道具。
 
手押し車
 
スクーター
 
スクーター
 
徒歩が自転車や手押し車に変わり、スクーターが普及しても、生活の基本は昔のまんま。よい日和のときは畑で採れたものを身近なところで交換しあう。台風でなんでもかんでも吹き飛ぶときは助けあって猛威をやり過ごす。

徒競走
 
そんなふうに人が人と寄り添って、自然の力に泣いたり笑ったりして生きていく毎日。自然と人との距離感が細胞膜一枚くらいの暮らし方。

おじいおばあの世代から今時の子供たちへ。時代の変化はありつつも、心のバトンはこれからも手渡され続けるのでしょう。
 

沖縄CLIP編集部

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