「南の島の雲を撮るカメラマン」森山卓(もりやま・たくみ)さん

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歴史文化

初回投稿日:2020.11.05
 最終更新日:2024.04.08

「南の島の雲を撮るカメラマン」森山卓(もりやま・たくみ)さん

森山卓(もりやま・たくみ)さんは、南の島の雲を撮るカメラマン。

これまで撮影された離島の写真は約10万点。雲ばかり、雲だけを撮影されているわけではありませんが、森山さんの風景写真の多くには、「雲に導かれて撮ったんだろうなぁ」と思うような、とても印象的な雲が写っています。だから、「南の島の雲を撮るカメラマン」なのです。

【写真提供】森山卓さん/波照間島

「空をみてぼーっとするのが好き」とおっしゃる森山さんは1964年の那覇生まれ、那覇育ちのウチナーンチュ。

沖縄観光情報サイトの先駆け的存在であったJTA(日本トランスオーシャン航空)の『おきなわ探訪美ら島(ちゅらしま)物語』の編集長を勤められていました。17年間にわたり、沖縄の島々の表情を届け続けたサイトは、惜しまれつつ2018年に終了。

大きな仕事をやり遂げた達成感を得た森山さんは編集長から転身。カメラマンとして写真を撮り続けながら2018年、那覇軍港の向かいで「BAR海岸通り」をスタートされました。



森山さんの人生で二度目となるバーは、カウンター6席だけの小さなバー。壁一面には森山さんが撮影された島々の写真とギターと三線が掲げられています。ひとりで訪れる女性客が多いという隠れ家のようなバーは、はじめてのお客様もすぐにユンタク(おしゃべり)の花が咲く、いかにもうちなー(沖縄)らしい空間です。



この日、ふらりと立ち寄られた常連の女性に、「森山さんってどんな方ですか?」と尋ねてみました。すると、「話しやすい。おばさんみたいなおじさん!」と若い彼女が即答されたので、「おばさんみたいな?!」と思わず聞き返しました。すると、「僕は姉2人、妹1人という女性環境で育っているんですよ。だから少し女性ぽいというか、女性の気持ちがよくわかるというか。僕自身、女性といる方が気が楽なんですよね」と森山さんがいたずらっぽく笑いました。



【写真提供】森山卓さん/下地島



「泡盛はコミュニケーションドリンクだと思っていたんだけど、21歳の時にはじめて飲んだ古酒がおいしくて感動して。それから泡盛が大好きになりました」という森山さん。沖縄県内に点在する47すべての泡盛酒造所を取材でまわられました。

「ニコニコ太郎の池間酒造の取材では…」、「菊の露の先代は…」と酒造所のお話だけで本が一冊書けてしまいます。

知識も経験値も、所有する泡盛も相当なもので、バーに並ぶのは厳選されたほんの一部。泡盛好きの方にとっても「新たな発見があるに違いない」と思えるほどです。



「そういえば、森山さんはいつもゲンキくんTシャツを着けていますよね?」と確認すると、「そうね。12色持ってるよ」と森山さん。いつしかゲンキくんTシャツは森山さんのトレードマークとなり、「ゲンキさん」、「ゲンキくん」と呼ぶ方もいるのだとか。

「宮古島のゲンキくんと石垣島のゲンキくんはヘアスタイルが違うんだよね」。「アメリカ統治時代にゲンキ乳業というのがあったんだけど、沖縄のゲンキ乳業は本土復帰を見越して内地の森永乳業と提携。そして沖縄森永乳業が誕生して…」と、Tシャツから沖縄企業の歴史話がはじまるあたりは、森山さんの引き出しの多さを感じるひとコマです。


そんな森山さんのご趣味であり特技でもあるのは、12歳からはじめられたギター。

フォークがお好きで、店名「海岸通り」は立地的なことと、むかしからメロディーも歌詞も好きだという「海岸通」(作詞・作曲/伊勢正三)から頂いたそう。

リクエストをすれば、アコースティック・ギターで弾き語りを聴かせて頂けます。

やさしい歌声と生演奏がよく似合う小さなバーに、じんわりと心地よい時間が流れました。


【写真提供】森山卓さん/黒島

森山さんと切っても切り離せないキーワードのひとつに「島」があります。

沖縄県内すべての有人離島を取材で訪れている森山さんは、次のように語られました。

「本土の方は、沖縄はみんないっしょ、と思っているけれど、沖縄、宮古(みやこ)、八重山(やえやま)、それぞれ違う。それぞれ立場が違って、それぞれ事情が違う。それぞれ違う気持ちを、違うアイデンティティーを持っているんですよ」と。

当たり前のことですが、ひとつの島ごとに、その島の歴史があり、伝統文化があり、風景があり、特色があり、島のひとがいます。

沖縄の宮古、沖縄の八重山ではなく、森山さんはひとつひとつの島について、それぞれの島の立場に立って、島のひとたちの心の襞(ひだ)まで理解しようとされています。

それは、「島」と言うひとつの引き出しには到底収まりきらず、「黒島」、「久米島」、「宮古島」といったように、訪れた島の数だけの引き出しを、森山さんは持っているように思えました。


【写真提供】森山卓さん/久米島ハテの浜

島々のアイデンティティーまで深く汲み取られている森山さんに、「森山さんにとって沖縄とは?」と質問してみました。

「首里城が焼けて、うまく表現できないけれど、自分のなかで、沖縄のウエイトが少し軽くなった気がする」。

一呼吸おいて、森山さんから発せられたのは、「首里城」と言うことばでした。

「首里城が焼けたのはとてもショックで、1週間は放心状態になっていました。

自分でもまだ整理はできていないのですが、燃えてなくなって、はじめて、城があったんだ、と実感しています。

僕が高校生だったころ、そこには琉大(琉球大学)の校舎があって、首里城は跡形もありませんでした。

その後、首里城ができた。なかったものができた。そして、できたのがなくなった。

見えていたものがなくなって違和感があったけど、そこには城があったんだ、って。

なくなったから“ある”という不思議な感覚なんですよね。再建はした方が良い決まっています。でも、なくてもある。建物はなくなっても、気持ちはここにある。

僕は第二尚氏の末裔だからかもしれないけれど、首里城は僕らの拠り処なんだと。気持ちで繋がった気がします。形あるお城がすべてではなく、こころがすべて。そう思うんです」。


【写真提供】森山卓さん/波照間島

森山さんのお話は続きました。

「沖縄のウエイトが少し軽くなったというのは、首里城が焼失して、こうでなければならない、というのが自分のなかで薄らいだということです。琉球にこだわる必要はない。沖縄は沖縄でよくないか。ただ、ウチナーンチュでいいよね。って。

むかしから思っていたことなのですが、地球上には人が心地よいと感じる、少し特別な場所がいくつかあって、沖縄もそのひとつなんだろうなって。だから、沖縄はウチナーンチュだけのものじゃない。人類、みんなのもの。僕はたまたまこの沖縄という南の島に生まれ育った。だから、ニコニコしながら人を受け入れて、楽に生きればいいって。そう思うようになったんです」。


【写真提供】森山卓さん/宮古島

奥深い引き出しをたくさん、たくさんお持ちの森山さん。「人生で2回、神様に包まれた」という経験もお持ちだそう。
そんな底知れない森山卓さんを、限られた文字数でお伝えするのは到底不可能ですので、そろそろ筆を置かせていただきますね。



「ここに来てくれた人が、笑顔で帰ってくれるようなお店にしたい」という森山卓さん。

続きは「海岸通り」でどうぞ。
 

BAR 海岸通り

住所 /
沖縄県那覇市山下町1-25
営業時間 /
19:00~24:00(L.O.23:00)
電話 /
098-859-4503
定休日 /
なし
HP /
https://www.facebook.com/yamashitakaigandohri/

沖縄CLIP編集部

安積 美加(あさか みか)

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