~浜辺に茶屋を建てた人~ さちばるの庭/稲福信吉さん【前編】
~浜辺に茶屋を建てた人~ さちばるの庭/稲福信吉さん【前編】
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歴史文化
初回投稿日:2017.01.16
最終更新日:2024.07.19
最終更新日:2024.07.19
斜めに傾いた太陽の光を受けて浜辺はキラキラきらめいている。幼い子どもは波打ち際で目を輝かせてはしゃぎまわり、愛おしくてたまらない我が子の後ろ姿を追いかけてカメラに収めるお母さん。風に乗ってうっすら聞こえてくる言葉が、大陸から来た旅行客だと知らせてくれる。海を越えてやってきた彼らの目に沖縄はどんな風に映っているのだろう。
ザザーッ、ザーン、シュワシュワシュワ…。西の空が金色に染まる黄昏どき、穏やかな波が打ち寄せては引いていく。間近に聞こえる潮騒が、静まりかえった店内に音の彩りを添えている。窓辺のカウンター席で、手元のスマフォと、手を伸ばせば届きそうなくらい近くにある太平洋とを、交互に眺める若者たち。みずみずしくて張り裂けてしまいそうな人生の輝きを謳歌しているはずの彼らは、南の島の黄昏に何を見ているのだろう。
太平洋のうねりをリーフが遮ってくれるおかげで、台風の時以外は穏やかなイノー(沖縄の言葉で礁池のこと)。沖縄のかけがえのない財産の一つである静かな海に寄り添うように佇んでいる「浜辺の茶屋」。絶景を楽しめるロケーションカフェの先駆けとして1994年に沖縄本島南部の玉城(たまぐすく)に誕生して以来、世界的に知られるようになったカフェだ。
これらの施設を20年以上かけ、少しずつ手を入れて整えている人がいる。ウチナーグチ(沖縄本島の伝統的な言葉)を日常的に使う数少ない世代であることから、自らを「最後のウチナーンチュ(沖縄の人)の一人」と呼ぶ稲福信吉さんだ。
昔ながらの沖縄の原風景がところどころに残る南城市玉城に生まれ育った稲福さんは、高校を卒業すると同時に故郷を離れ、都会に出た。土木コンサルタントとして、「開発」の世界で身を立てていたが、「くしゃみまで内地的にしなくちゃいけない世界」に違和感を感じるようになり、40代で「お金と名声の世界」を後にした。
「作業着を着て掃き掃除してると、時々観光に来た人から言われるんだよ。『ここのオーナーは、内地の人ですか?』って。違いますよー、オーナーは沖縄生まれの人ですよーって、知らん顔して答えるんだけど」。自分もそうだが、多くの人間は見た目で他人を判断してしまう。相手の身なりや仕草や話し方で接する態度が変わることがしばしばある。初めてお会いしたとき、稲福さんはご自身のお仕事についてだけでなく、人間というものについて色々と話をしてくれた。
「職業も収入も学歴も血筋も関係ないと思わないね? 大切なのはその人がどうやって自分を磨いてきたか。人の魅力はそういうところに現れるんだよ」。そういう風に話を向けられると、「もちろんそうでしょう」という言葉をおうむ返しのように口に出てしまいそうになるが、実際のところは、学歴や職業や収入や時々人種や国籍に影響されている自分がいたりする。
稲福さんには仕事上心がけていることがあるという。それはスタッフが競争に走らない状態をつくることだ。「内地に限ったことではないけど、競争することに追われてしまっている人が多いよね。他人との比較の中でしか自分を評価できないでいると、人は心が元気じゃなくなってくるるんだよ。沖縄では子どもの学力が全国的に低いからって、学校も社会も躍起になっているけれど、だからなんだって言いたいよ。昔はね、勉強ができる子は一握りだった。一握りでよかった。その代わり、海に行けば魚をたくさん獲れる子もいれば、スポーツが抜群な子や他人の面倒をよく見る子がいたんだよね。そして世間はそれぞれの才能をちゃんと評価していた。それぞれの得意分野でがんばれていたからこそ、誰もがイキイキできてたんだよね」
大きな瞳をキラキラ輝かせて言葉を発し続ける稲福さんに、初対面にして惹きつけられてしまった。成功した事業家を前にすると、気後れを感じたり萎縮してしまったりするけれど、目の前にいる稲福さんにはそれらを感じることがない。それも惹かれた理由の一つだったかもしれない。
「やんちゃだった」と自らを評する稲福さんご自身の得意分野は、「場を磨く」ことだという。
「こういう風に取材されて表には出たくはないんだよね。自分を自慢するのは好きじゃないし…。でも評価されたいという気持ちもある」。ほんとうは目立ちたがり屋なのだと言ってのけられるのは、その人に謙虚さがあるが故のことだろう。実際、稲福さんの朝は掃除から始まるらしい。道路を掃いたりトイレを洗ったり。そうすることで、現場と息を通わせ、自分を場に馴染ませるのだろう。
浜辺の茶屋や山の茶屋は地域おこしの成功事例として注目されることが少なくない。講演を依頼されたり、他の地域から視察したいという打診も多いという。「自分では地域おこしをやってるつもりはない」と稲福さんはいう。「玉城の自然を生かす、この場所らしい土地利用のあり方を自分なりに考えて、楽しみながらやっているだけ」だと賞賛を受け流す。
取材で訪れたその日も、稲福さんはスタッフと一緒に新しい道路を造っていた。数年前から計画していたコテージを建設することになっている高台と、海沿いにある公道とをつなぐ、幅5m前後、延長250mほどの道路だ。
「きれいな道路」と稲福さんが呼ぶその道の斜面には、コンクリートの代わりに、この場所にもともとあった石灰岩が斜面を補強のために使われている。自分たちで苗作りから始めたドラセナやクロトンなどの外来植物に、在来の植物を配した植栽が彩りを添えている。「次の世代のために」と、ところどころに植えたガジュマルやアコウの木の幼木は20~30年後には大きな木陰をつくり訪れる人を静かにもてなしてくれるはずだ。電柱を使わず、道路の下に鉄管を通して電線を配してある。だから、道路が自然に溶け込んでいるように見える。
「業者にお願いしようかと思ったけど、自分たちでやってよかったね。アドリブも多いからさ」。稲福さんにとっては、道路づくりは絵を描いたり、作曲をしたり、演劇のシナリオを考えるのと同じ種類の仕事なのだそうだ。昼間はもちろん、夜寝ている時にも、あれこれとアイデアが浮かんでくるという。「あそこにはこれを植えよう」、「あっちはこんな感じで石を組もう」と夜明けを待てず、暗いうちに現場に出かけることもよくあることらしい。
「仕事が終わったら、できあがり! というものではないんだよね。何十年後かをイメージして、デザインして、そこから何十年か経って、初めて形になるという仕事なのよ」。「だからこそ、この仕事はやっていて楽しい」と語る稲福さんを育んだのは、いったいどんな過去だったのだろう。稲福さんの成長に玉城の風土がどのように影響したのだろう。
後編では、稲福さんの少年時代にスポットを当ててみよう。
さちばるの庭
- 住所 /
- 沖縄県南城市玉城字玉城18-1
- TEL /
- 070-2322-8023
- サイト /
- https://sachibaru.jp/niwa/
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