3つの無形民俗文化財(北中城村の伝統芸能)
3つの無形民俗文化財(北中城村の伝統芸能)
Reading Material
歴史文化
初回投稿日:2014.11.30
最終更新日:2024.09.02
最終更新日:2024.09.02
沖縄中部の北中城村(きたなかぐすくそん)は、世界遺産・中城城跡の里でもあり、先日もご紹介した、花とアートの集落・大城(おおぐすく)をはじめ、14の字(あざ/集落)があります。
エイサーの代表曲である『仲順流れ(ちゅんじゅんながり)』の舞台となっている地でもあり、エイサーも盛んで『青年エイサーまつり』なども注目なのですが、北中城村の伝統文化は、エイサーのほかにもまだまだあるのです。
北中城の各地域の伝統芸能は、それぞれ演じられる時期が異なるのですが、いっぺんに観られる機会があるのです。それが、『北中城まつり』(11月22日・23日開催)のなかで、初日に開催された『村民芸能祭』です。
北中城には4つの無形民俗文化財指定の伝統芸能があり、そのうち代表的な3つをご紹介していきましょう!
まずは、島袋(しまぶく)の『赤木名節(あかぎなぶし)』。
元々は奄美大島の笠利町赤木名で生まれた恋歌が、琉球王朝時代に伝わってきたともいわれますが、奄美にはすでにその歌がなく、実際のところは起源がわからないとされています。
現在『赤木名節』が残っている地域は、北中城村島袋と伊江島くらいで、島袋の『赤木名節』の特徴としては、空手の型が入った勇ましい二才(にーせー)踊りとなっています。
きりっとしてシャープなカッコいい男踊りですよ。
北中城村では、平成14年(2002年)に無形民俗文化財に指定されています。
こちらもまた、起源が不明とされている『喜舎場(きしゃば)の獅子舞』。
昔から、地域の厄払いとして旧盆後の7月17日に、喜舎場の遊び庭(あしびなー)の舞台で演じられ、地域で大切に伝承されてきました。
昭和57年(1982年)には、北中城村の無形民俗文化財に指定されています。
まず最初に、獅子を誘い出す鈴が左右両手に握られているのですが、その音色が高音と低音に分かれ、三線と太鼓の反復する伴奏と重なり、緊張感を演出していきます。
獅子舞は、客に近づくこともありますが、もし噛み付かれる仕草をされても、心配ありません。 きっと厄を払ってくれることでしょう!
そして、一番インパクトが強烈なのは、熱田(あった)の『南島(フェーヌシマ)』。
赤く長い髪をたらし、その風貌は、沖縄ではないような民族不明ないでたちです。
手踊りと棒踊りの2種類で、まず手踊りから演舞がはじまるのですが、そこで歌われる歌が謎なのです。
「♪タウチュンナータイ タウチュンナータイヨ
チョウオーヨーティメウターン イエチョウハアタイ
フーテーヨーフィヨ フィタイフィタイ チンサーン
チントーンヨーオーサイ チューサイヨー スイナー」
と歌われますが、歌の意味はまったく不明とのこと。
かなり謎めいていますが、村の無形民俗文化財として昭和55年(1980年)に指定されています。
次に、先端に金輪をつけた棒を持っての棒踊りでは、1メートルほど飛び跳ねるジャンプ力も見ものでした。
南島は、那覇市安里、金武町伊芸、読谷村長浜などにもありますが、熱田の南島は、沖縄市知花から伝わり、津堅島の棒の型も取り入れて独自に発展していったといわれています。
しかしその起源については、沖縄にいつ頃にどこから伝承されたかは不明とされています。
現在熱田では、旧盆や祝いの行事で南島が躍られていますが、近年では後継者不足に悩んでいるようです。
今年は、北中城村の中学校の文化祭で、1年生の総合学習の一環として伝統文化・南島を学び、発表会で演舞したとのこと。
そのうち精鋭の数名が『北中城まつり』にもエントリーし、大人と混じって一生懸命演舞する姿が聴衆を惹きつけました。
演舞終了後、熱田保存会が舞台挨拶し、「短い期間のなかで習得した彼らは、中学生というよりも、立派な地域の若者です。
この若者たちに、皆さんの拍手をお願いします」と告げると、会場から拍手喝采。
熱田出身の城間君をはじめ、演舞した中学1年生たちは、「観客がいっぱいで緊張したけど、思い切って演舞できて良かったです」と、感想をのべ、地域の皆さんから、温かい拍手が贈られるシーンがありました。
この日の感動を胸にして、少年達が青年に成長したときに、地元の伝統を受け継いでいきたいというきっかけになるのかもしれませんね。
地域のまつりの中で、伝統文化が受け継がれていく瞬間に立ち合わせて頂いたかのような感動を体験することができました。
北中城村
- 住所 /
- 沖縄県中頭郡
- Webサイト /
- http://www.vill.kitanakagusuku.lg.jp/site/view/index.jsp
同じカテゴリーの記事
よみもの検索