沖縄の復興と、コザのにぎわい復活と、希望の灯火と

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あそぶ

初回投稿日:2019.12.31
 最終更新日:2024.03.27

沖縄の復興と、コザのにぎわい復活と、希望の灯火と

花

自然災害が立て続けに起こったり、日韓関係が今までにないほどギクシャクしたり、首里城が焼け落ちたりと、悲しいことが目立ったように感じる一年でしたが、みなさんにとって、2019年はどんな年でしたか?


赤ん坊

僕的には初めての子どもを授かるなど、今までにない激動の一年になりました。悲しいニュースに心を痛めつつ、赤ん坊の寝顔や泣き顔を飽きずに眺め、成長を見守る中で、人間の不思議さ、生命の神秘をあらためて感じる年でもありました。


どんぐり

さて、今年の沖縄を振り返ってみて、一番印象に残っているのは、沖縄本島中部にある基地の街、コザ(沖縄市)で進行している「復興」の動きです。基地があることで沖縄で最も経済的に潤ったといわれてきたコザですが、ベトナム戦争をピークに、その後は「没落」の歴史を歩みはじめました。外からこの街を訪れる観光客やウチナーンチュの数は減少し、一時は賑やかだったはずのゲート通りやパークアベニューを歩くたびに、「忘れられた街」という印象を抱かずにいられませんでした。


花

そのコザの街が再び「眩しく輝きはじめた!」と、僕が感じるようになったのは、2〜3年ほど前のことでした。実際は、さらにその数年前から「蘇り」の種を蒔く人が、この街にちらほらと現れていたようです。以前紹介したことがあるシアタードーナツ(https://okinawaclip.com/ja/detail/2340)の宮島真一(みやじま・しんいち)さんもその一人でしょう。カフェでコーヒーを飲みながら写真を眺めるように、映画館とは違った雰囲気に包まれて。映画を観ることができる小さな小さな映画館が一番街に誕生したのです。パークアベニューでは、グラフィティアートを思わせる、街に根ざしたアート作品を描く若手アーティストが、ギャラリー(https://okinawaclip.com/ja/detail/2351)をオープンしました。

パークアベニュー

一番街の隣で酒屋を営む若手経営者が、地ビールづくりを始めました(https://okinawaclip.com/ja/detail/2368)。本格的な手作りハムとソーセージを作る若者(https://okinawaclip.com/ja/detail/2339)が現れました。一番街から枝分かれするパルミラ通りでは、内地から移住してきた夫婦がカレー屋を始めました。そのようにして、大都市がやることを後追いをするのではなく、街の歴史や空気感に根ざした、オリジナルなサブカルチャーを追求しているように見える人たちが、それぞれの得意分野で、それぞれの方法で、コザの街を耕し直し始めましたのです。


cafe OCEANのヤッシーさん

もちろん、こうした新しい動きの前に、コツコツ土作りをしてきたコザっ子がいたことも忘れてはいけません。例えば、cafe OCEAN(https://okinawaclip.com/ja/detail/2508)のヤッシーさん、そして、ペストリーが評判のパン屋Zazou(https://okinawaclip.com/ja/detail/833)の安村正子(やすむら・しょうこ)さんといった先輩世代の面々です。


壁

そうした世代の前には、沖縄が日本に「復帰」する前から、アメリカ相手に、したたかに、たくましく商いを営んできた第一世代の「開墾」の営みがあることに思いを馳せてみたいです。そうした世代の一人が、ライカム交差点近くで日本で最初のショッピングモールを始めたプラザハウスの元会長、平良幸雄(たいら・ゆきお)さんです。中学を卒業した平良さんは、まだ戦争の傷跡が残る沖縄で、米軍を相手に仕事を始め、ゴツゴツした山の急斜面を必死に登り続けるようにして、光り輝く憧れの場所を手に入れたのです。

そのプラザハウスに、また新しい動きが始まっています。仕掛けるのは、2代目の社長、平良由乃(たいら・よしの)さん。毎年、毎シーズン海外を歩き、直接買い付けで仕入れたインポートブランドを展開する旗艦店舗Roger’sは、内地でも知る人ぞ知るインポートファッションストアです。そのRoger’sが、オリジナルのフードマーケットを今年11月にオープンしたのです。沖縄の優れものが、内地や世界のおいしい食品と肩を並べて陳列されている様子を目にして、「やっぱり沖縄の人ってすごいな」と、思わずにはいられませんでした。


アート

なんだか、とりとめのない話になってきましたが、今年を締めくくるこの記事でお伝えしたかったのは、人間の力強さ、人間の再生力が世界を明るく照らす、ということかもしれません。首里城の消失で、多くのウチナーンチュが涙を流しました。悲しいを通り越した言葉にできない感情を、多くの人が今もなお、持ち続けています。

その一方で、同じ人の心の中に、希望を持つことを諦めない強いものが、キラキラと輝いているのかもしれません。それは、70年以上前から、いや、400年以上、沖縄の人の心の中で輝いてきた宝石だといえるでしょう。日本で、アジアで、世界で、いろいろなことが起き続けています。それでも、なお、人が希望を失わない限り、この世の中は存在し続ける。たとえそれが不完全なままであり、不公平さがまだ完全には払拭されていないとしても、少しずつ、少しずつ、誰もが幸せに生きられる世界へと変化し続けているのだと、沖縄に暮らすことで、日々感じることができます。

来年もまた沖縄にたくさんの人が、世界中から訪れますように。そして、沖縄を訪れるみなさんが、普段は忘れている何かを、この島で思い起こしますように。

沖縄CLIP編集部

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